本多正永
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本多 正永(ほんだ まさなが、正保2年11月11日(1645年12月28日) - 正徳元年5月19日(1711年7月4日))は、下総国舟戸藩主。上野国沼田藩の初代藩主。父は本多正直。母は稲垣重綱の娘。正室は堀田一輝の娘。娘は高木正陳室、大久保常春室。官位は従四位下。侍従。
正保2年(1645年)11月11日、江戸で生まれる。幼名は三弥。武兵衛。元禄元年(1688年)に寺社奉行となったことから1万石の所領を与えられて舟戸藩主となった。元禄9年(1696年)には若年寄となり、元禄14年(1701年)に上総・下総国内で5000石を加増された。元禄16年(1703年)に沼田藩へ移封される。宝永元年(1704年)には老中となって、1万石を加増され、最終的には4万石の藩主となった。沼田藩の藩政では、以前の悪領主である真田信利の悪政で荒廃していた沼田藩の再興に務めている。正徳元年(1711年)5月19日、67歳で死去し、後を養嗣子の本多正武が継いだ。
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