東條由布子
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東條 由布子(とうじょう ゆうこ、1939年 - )は、著述家、特定非営利活動法人理事長。東條英機の長男・英隆の長女。本名は岩浪淑枝。英機の孫に当たる。ソウル(当時、京城)生まれ。
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[編集] 人物
強硬な保守派(右派)論客の一人として知られ、祖父・英機を遺族の立場から擁護し、他の「A級戦犯」も含めて「判決」の正当性・靖国神社からの分祀に否定的な立場をとる。「A級戦犯分祀は、あの戦争を侵略戦争と認めることになり、それは靖国の英霊に対し申し訳がありません」と主張している。また「祖父が祀られているために天皇陛下がご参拝できないことになっているのは、大変申し訳ない思いで靖国の鳥居をくぐっております」とも発言している。
但し祖父の、指導者としての責任については、過去テレビ朝日の「サンデープロジェクト」に出演した際、田原総一朗から問われ、「祖父は敗戦の責任があるのだから、その責任を取って死刑になるのは当然」という旨の発言もしている。
また「祖父が祀られているために天皇陛下がご参拝できないことになっているのは、大変申し訳ない思いで靖国の鳥居をくぐっております」とも発言しているが、同時に「分祀はできません」と主張している。また、天皇の勅使が靖国神社に派遣されていることをもってA級戦犯の合祀は天皇の許可を受けた上で行われていると主張している。
東條付の当直仕官であった塚本清彦少佐は東條かつ子夫人が東條家の私用で車を要求され断ってサイパンの守備参謀として最前線送りとなり死亡している。このように東條政権時に東條一族の不興を買って左遷最前線送りとなった例は西村大将や谷田少将等多々ある。
1987年1月号の諸君!で「東條家の言い分」に対しての紙上論争があった際には東條家のその自己弁護主張は俵孝太郎や山本七平から厳しく批判された。
「A級戦犯分祀は、あの戦争を侵略戦争と認めることになり、それは靖国の英霊に対し申し訳がありません」と主張しているが、高田欽一はこれを1940年に蒋介石がナチス・ドイツを仲介者として打診してきた中国からの撤兵を条件としての和平案に東條英機が中国撤兵に断固反対し大川周明の説得に対して言った「撤兵は靖国の英霊に対して相済まぬ」との発言と同じで血は争えぬと批判している。
2006年8月15日に「A級戦犯は戦争犯罪人です」と国会答弁等で何度も述べている小泉純一郎総理が靖国神社を参拝した後に、その発言と参拝の整合性について問われて「A級戦犯のために行っているのではない」と答弁したが、東條はこれを「A級戦犯のため『だけ』に行っているのではない」という意味だと主張している。
[編集] 主な経歴
- 第一生命保険相互会社勤務を経て、明治学院大学に進むが結婚のため中退。
- 4児の母となった後、国士舘大学教育学科2年に編入学し、卒業。
[編集] 現職
[編集] 備考
- 幼い頃は利発で活発な少女だったらしい。自著によれば、祖父、東條英機が処刑されたことについてからかった同級生の男子を「祖父は戦死だ」と言って袋叩きにしたこともあるくらい激しい性格だったようだ。
- 東條英機について、その家族・子孫が庇えば庇うほど、故人の名誉を汚すことになる日本人のメンタリティを理解出来ない人物として戦没遺族からの批判がある。
[編集] 著書
- 『祖父東條英機「一切語るなかれ」』文春文庫、2000年3月 ISBN 4-16-736902-8
- 『東條家の母子草』恒文社21 2003年8月 ISBN 4-77-041100-6
- 『大東亜戦争の真実 東条英機宣誓供述書』 2005年8月 ISBN 978-4898310830
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