松平信宝 (三河吉田藩主)
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松平 信宝(まつだいら のぶたか、文政9年9月10日(1826年10月11日) - 天保15年10月17日(1844年11月26日))は、江戸時代の三河吉田藩主。 松平信順の長男。母は側室の凉松院。正室は阿部正粹の娘。従五位下、隼人正・伊豆守を称する。
死去に際して子供がなかったため、妹の貞が養女となり、松平信敏の子信時を婿に迎えて跡継ぎとした。
[編集] 経歴
- 文政9年(1826年)9月10日、武蔵国に誕生。11月7日、嫡子となる。
- 天保8年(1837年)3月15日、初めて拝謁する。12月16日、従五位下、隼人正(はやとのかみ)に叙任。
- 天保13年(1842年)12月13日、父・信順が隠居し、信宝が家督を相続する。翌12月14日、伊豆守に改める。
- 天保15年(1844年)10月17日、死去。表向きには11月20日死去とする。11月26日、埼玉県新座市野火止の平林寺に葬する(12月2日に弘化と改元)。
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