松平光慈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松平 光慈(まつだいら みつちか、正徳2年9月22日(1712年10月22日) - 享保17年8月11日(1732年9月29日))は、山城淀藩の第2代藩主。志摩鳥羽藩主。信濃松本藩の初代藩主。淀藩の初代藩主・松平光煕の三男。子に娘(青山幸道室→建部長教室)。官位は従五位下、丹波守。
享保元年(1716年)に叔父の松平光規の養嗣子として、その家系を継いでいた。しかし本家を継ぐはずだった兄たちが早世したため、本家に戻って世子となった。父の死去により、享保2年(1717年)11月1日に跡を継いだ。同時に淀藩を転じて鳥羽藩に移封された。享保10年(1725年)10月18日には鳥羽から信州松本へ移封となる。同年12月18日、従五位下・丹波守に叙任。 享保17年(1732年)に21歳の若さで死去し、跡を弟の松平光雄が継いだ。
|
|
|
|
|
|
|
|
|