松平勝道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松平 勝道(まつだいら かつみち(かつつね))は、伊予今治藩の第9代藩主。
|
||||
時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 文化10年1月13日(1813年2月13日) | |||
死没 | 慶応2年8月6日(1866年9月14日) | |||
別名 | 洪五郎(幼名)、松平定保(初名) | |||
戒名 | 礼徳院 | |||
墓所 | 東京都江東区白河の霊巌寺 | |||
官位 | 従五位下、若狭守、駿河守 | |||
藩 | 伊予今治藩主 | |||
氏族 | 池田氏→松平氏 | |||
父母 | 父:池田政行、養父:松平定芝 | |||
妻 | 正室:松平定芝の3女・久 | |||
子 | 3男11女、養子:松平定法 |
1813年1月13日、第6代藩主・松平定休の子・池田政行の子として生まれる。1834年2月に第8代藩主・松平定芝の養子となり、12月に従五位下、若狭守に叙任する。1837年、定芝が死去したため、後を継いで藩主となった。
1843年10月から1862年まで奏者番を務めた。1846年12月に駿河守に転任する。藩政においては文治政策に尽力し、種痘を実施し、1860年には古江浜塩田を完成させるなどした。1862年11月、養子の松平定法に家督を譲って隠居し、1866年8月6日に死去。享年54。
|
|
|