桂春彦
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桂 春彦(かつら はるひこ、本名福田 勝彦(ふくだ かつひこ)1967年5月26日- )は 上方の落語家、タレント。和歌山県出身。以前は松竹芸能と板東英二の付き人として芸能事務所オフィスメイワークにも所属していた。
現在は、フリーの落語家として、主に余興等で活躍している。
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[編集] 来歴・人物
1988年2月に3代目桂春團治に入門をし、その傍ら1991年頃から板東英二の付き人としても活躍。板東が出演している番組にも出演していた(主に関西ローカル)。明るい真面目な性格だった。
[編集] 板東英二に恐喝・そして逮捕・転落
板東英二の事務所にも所属しタレント活動を展開。しかし、時間にルーズ、服装が悪い等のマナーの悪さが原因で、2000年4月に板東の事務所を解雇される。解雇された事に腹を立て、その年の5月に、自宅兼事務所に待ち伏せし、仕事から帰ってきた板東に対して「俺を誰だと思ってんねや。俺が何悪さしてクビになったんや?7億円よこせや!わしはもらえるはずや。お前のタレント活動も終わりや。」と7億円を脅し取ろうと恐喝未遂を起こし、さらに、自宅兼事務所の前に駐車していた自転車数台を蹴り倒した。その後、電話で板東に現金の支払いを催促しストーカー行為もする。ついに、その5ヵ月後の10月5日に板東が被害届を大阪府警大淀警察署へ出し、その2週間後の10月14日に恐喝未遂の現行犯で逮捕された。奇しくも逮捕される2日前の10月12日にミヤコ蝶々が他界しており、春彦の逮捕を含め上方芸能界に強い衝撃が走った。
[編集] 春團治から破門宣告
春彦は逮捕される前、9月16日付けで桂春團治一門から破門をされている。破門の理由に、春團治らが再三、板東に謝罪をさせようと春彦に話をしたが、春彦はそれを聞き入れなかった為である。その為、春團治は、激怒をし、春彦を破門した。破門前の8月に春團治は板東に「弟子の桂春彦が、3月より金銭の要求などおぼしき言動でご迷惑をおかけました事をお詫びいたします。今後は二度とそう言う事がない様に監督致しますので、お願いいたします。」と手紙で詫びた。
しかし、春彦が春團治の言う事を聞かなかった為に破門され、そして、春團治は水面下で板東に告訴してもらおうと決意をし、「弟子の春彦に目に余る行動があるので本日破門致しましたので、告訴していただく事をお願い致します。9月16日 桂春團治」と直筆のメッセージを事務所を通じて、板東に渡し、告訴を頼んだ。告訴の件も所属の松竹芸能の幹部からも容認が降りていた。(つまり、水面下で告訴を準備していた事になる。)
(破門=ぺナルティーで告訴となるとは、春彦本人も想像がつかなかったに違いないが、春團治一門にしてみれば、春彦は上方芸能や上方落語界に泥を塗ったので、告訴されて、有罪の刑を受けて刑務所で叩き直されて欲しいという思いがあったに違いない。ある意味、最後の愛情と言える。)
[編集] 裁判・判決
逮捕された翌年の2001年3月判決で、懲役2年、執行猶予3年の有罪の判決を受けた。検察は「心から反省しているか疑問で情状の余地がない。」とした。被告人質問を受けた春彦は「板東さんを困らせようとしただけ。金を取るつもりではなかった。」と主張。「なぜ何度も金を出せと迫ったのか?」の検察側の質問に「板東さんは「人生に愛はいらん。金や金」と言っていたので、金の話題が一番困ると思った。」と声を荒げながら主張した。そして判決で裁判官は「要求額が大きい上、犯行は執拗、悪質で、被害者の精神的苦痛が大きいが謝罪し反省している。」として、執行猶予の付いた判決を言い渡した。
[編集] 判決後の出来事
同じ松竹芸能所属の北野誠は、「誠のサイキック青年団」のイベントで「春彦は板東さんに解雇をされた腹いせに、仕手グループとの付き合いをマスコミにばらそうと板東さんを脅したのでは?」と語っていた。板東は財テク家だった事もあり、その付き合いも春彦も立ち会っていたと思われるが真意は不明である。
裁判で板東の「人生に愛はいらん。金や金」と春彦が明らかにした為、板東は自身の付き人教育が疑われ「春彦が板東さんを脅したのも板東さんにも落ち度があったのでは?」等の関係者からも声があった。現在でも松竹芸能所属の芸人や他の落語家や板東英二のファンの間では賛否両論の声が相次いでいる。
[編集] 芸能界を休業・上方落語界追放・そして代償
民事面で春彦側は「同被告名義で事務所に残したゴルフ会員権を放棄し、今後板東さんに報復行為を行わない」、板東側も「福田被告(本名)に対して慰謝料請求を放棄する。」などの取り決めがされ示談が成立した。
逮捕された頃から「元落語家」と新聞などで表記される様になった為か、所属先の松竹芸能からも無期限謹慎を言い渡され、芸能界を休業をする。さらに、上方落語協会からも除名追放された。
判決を聞いた板東は「今回の件は弁護士に任せているので詳しく話せませんが、福田君(本名)には、ちゃんと罪を償って欲しいと思っています。」と真剣な表情でコメントし、春彦に対して決別を宣言した(板東も本音は春彦が刑務所に入って反省して欲しいと望んでいた様であり、本気で刑務所にぶち込むつもりだったらしい。)。
判決を受けた春彦本人は裁判官から「これからどうするのか?」と聞かれ「落語家としてやり直したい。」と語った。
それを聞いた兄弟子の桂春之輔は「落語家として再出発させてあげたいし、他の落語家にも話をして手を差し伸べてあげたい。」とコメントを述べた。春之輔は、春彦を預かり、春彦を付き人修行させる事になった。
師匠の春團治と他の兄弟弟子と松竹芸能所属の芸人は、ノーコメントを貫いた。
上方落語協会のホームページと、兄弟弟子の桂小春団治と桂春菜のホームページも、桂春團治一門の図にも春彦の名前が削除された。板東に対する恐喝未遂の代償は大きかった。特に兄弟子の小春団治は、事件を起こした事を許せず、春彦へ対する怒りを込めた思いがあったのか、こは・まつというユニットで「ごめんで済んだら警察いらん!」というCDシングルをリリースし、京阪神地区のレコード店9店舗で限定販売した。
[編集] 落語家復帰・芸能界・上方落語界復帰
兄弟子の春之輔は、春彦を預かり、付き人修行をさせる。そして、春之輔は、他の落語家に話をし、さらに、松竹芸能・春團治に話をし、2002年にようやく春團治から破門が解かれ、また、松竹芸能からも謹慎が解かれ、落語家復帰・芸能界復帰・上方落語界復帰を果たす。しかし、上方落語協会には、除名されたままである。その為、一門表にも名前が記載されていない。
[編集] 現在
執行猶予も2004年に終わり、本格的に落語家に復帰。現在はテレビ・ラジオ出演等のメディア出演はしておらず、余興等で地道な芸能活動を行っている様である。松竹芸能にプロフィールが掲載されていたが、削除されており、恐喝未遂事件の代償で引責退社した可能性が高い。
[編集] 所属していた事務所との関係
かつて春彦が所属し、現在も板東・リリアンらが所属しているメイ・ワークがスターダストプロモーションの系列であり、春彦が犯した事件で、ある意味スターダストプロモーショングループを敵に回してしまっている為、今後テレビ・ラジオ出演等のメディア出演が出来ても板東とはおろかスターダストプロモーション所属のタレントとの共演は不可能である。