桂春団治 (3代目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
3代目桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年3月25日 - )は、上方の落語家。大阪市出身。本名、河合 一(かわい はじめ)。春團治と表記する場合もある。山村流舞の名手でもあり、舞台ではしばしば粋な寄席踊りを披露している。松竹芸能所属。上方落語協会会員(相談役、第3代会長)。出囃子は「野崎」。
目次 |
[編集] 来歴
浪華商業高等学校(現在の大阪体育大学浪商高等学校)卒業後、兵庫県宝塚市の自動車部品販売会社でサラリーマン生活を送る。1年で退職後、父である2代目春団治の九州での巡業に同行した際、他の演者の急病により、仕方無く父の聞き覚えである落語「寄合酒」で初めて高座に上がることになったが、爆笑を得、その後本格的に噺家になることを決意した。そのためこのネタは記念すべきネタで、6代目笑福亭松鶴も初高座で演じたネタが同じ「寄合酒」であったと、のちに自叙伝などで語っている。
入門当時、上方の落語家が10数名であったなか、有志で「さえずり会」を結成、上方落語の復興に尽力。のちに、同会メンバーでもあった6代目笑福亭松鶴(故人)、3代目桂米朝、5代目桂小文枝(のちの5代目桂文枝、故人)と並び、「上方落語の四天王」と呼ばれた。
[編集] 経歴
- 1947年4月1日 2代目桂春団治に入門、高座名は桂小春。
- 1950年 2代目桂福団治を襲名。
- 1959年 3代目桂春団治を襲名。初代春団治を描いた映画「世にも面白い男の一生 桂春団治」の公開がそのきっかけになった。
- 1977年 上方落語協会会長に就任( - 1983年)。
- 1978年 「上方お笑い大賞」受賞。
- 1998年 紫綬褒章受章。
- 2004年 旭日小綬章受章。
- 2006年9月30日 初主演映画「そうかもしれない」公開。
[編集] 落語
落語の導入部である「枕」を振らず、いきなり本題に入る型をとっており、語り口は淡々として艶やか。また、羽織を脱ぐ仕草一つにも究極の拘りを見せる。
[編集] 持ちネタ
- 現在演じられているもの
- 現在は演じられないもの
当代の春団治は、その持ちネタの少なさで有名である。現在演じられないものは、出来ないのではなく、高座にかけられる物にならないから出さないという。その代り、今演じるものについては高座にかけるたびに練り上げ、その全てが一級品といえる内容である。ちなみに師匠2代目春団治からは「風呂敷丁稚」のみ差し向いで稽古してもらい、「祝のし」は病床で筋のみ伝えてもらった、「子ほめ」「お玉牛」「野崎詣り」は2代目立花家花橘、「いかけ屋」「高尾」は4代目桂文團治、そして「代書屋」「皿屋敷」「親子茶屋」「色事根問」「始末の極意」は3代目米朝に稽古を付けてもらったとインタビューなどで答えている。
[編集] 羽織
高座で羽織を脱ぐ仕草が噺の邪魔になるとの考えから、両手でそれぞれの羽織の袖口をつかみ、一挙に後ろ手で落とす脱ぎ方を始めた。一度、羽織と着物の袖を間違って引っ張る失敗をしてからは、羽織のほうはサイズを大きめに作った。
[編集] 弟子
入門順。孫弟子など、詳細は春団治一門を参照。
- 祝々亭舶伝(2代目春団治からの預かり弟子。前名:2代目桂春輔。1981年に一門を離れ名跡を返上したため、一門表には記載されていない)
- 4代目桂福団治
- 2代目桂春蝶(故人)
- 桂春之輔
- 桂春若
- 桂春駒
- 3代目桂小春団治
- 4代目桂梅團治
- 桂春雨
- 桂春彦(板東英二への恐喝未遂に問われた為、逮捕時に破門されたが、有罪判決を受けた後に、春之輔の付き人修行を経て破門が解け、現在は余興を中心に地道に活動している。ただし、破門時に上方落語協会を除名されている関係で一門表には記載されていない)
- 桂貴春
- 桂春菜(2007年に3代目桂春蝶を襲名予定)
[編集] エピソード
- 3代目もまた「春団治」の家系にもれず酒豪であり女性に人気がある。女性関係については、20代の頃の手帳には、100人近くもの女性の電話番号が記載されていたという。結婚後も初夜から朝帰りするほどで、怒って実家に戻った夫人が、両親から「女の一人や二人も出来ない芸人は伸びない。お前はそれを承知で嫁いだはずでは?」と逆に諭されたという逸話がある。
- 酒については元来は下戸であった。これは入門当初に師匠・2代目から芸に深みが出るためとして勧められた修業の成果であろう。ただ、高座では酔っ払いが登場する噺はほとんど手がけていない。「人によっては最初から最後まで同じ調子で酔っている噺家がいる。酒を飲んでいるのなら自然に酔っていかなければ」という持論があり、6代目松鶴と父・2代目の酔態表現を高く評価していることから、あえて取り上げていないと思われる。
- 2006年9月15日、常設寄席「天満天神繁昌亭」のこけら落としを記念して、歴代の春団治が乗ったと伝えられる「赤い人力車」(詳細は初代春団治の項「エピソード」参照)の復元版に、桂三枝が車引きを務める形で乗り天神橋筋商店街でパレードを行った。この企画を三枝が打診した際、「実はわしもいっぺん乗ってみたいと思とったんや」と答えたという。
[編集] 出典
- 『上方落語家名鑑ぷらす上方噺』天満天神繁昌亭、上方落語協会編、やまだりよこ著(出版文化社、2006年(平成18年)、ISBN 4-88338-351-2)
- 『六世笑福亭松鶴はなし』戸田学編(岩波書店、2004年(平成16年)、ISBN 4-00-002586-4)
- harudanzi - 松竹芸能公式プロフィール
- 協会員プロフィール:桂春団治 - 上方落語協会公式プロフィール
- 炎の芸人烈傳 上方落語界の大看板・三代目桂春団治の足跡! 前編 - 松竹芸能公式サイト、「Topics」内の記事
- 同 後編 - 同上
- 米朝よもやま噺 放送内容 2006年3月11日 - ABCラジオの番組「米朝よもやま噺」公式サイト内の記事
- 『極付十番 三代目桂春團治』(ワーナーホームビデオ、2007年(平成19年)、SD-F1945)ブックレット
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- とらとやな - 春団治一門の新聞「とらとやな」のインターネット版