武田金次郎
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武田 金次郎(たけだ きんじろう、嘉永元年(1848年) - 明治28年(1895年))は、幕末期の水戸藩藩士。武田耕雲斎の孫。父は耕雲斎の長男・武田彦衛門。母は藤田東湖の妹。
1864年、祖父が天狗党の乱を起こしたとき、それに参加したが、間もなく反乱が鎮圧されて祖父をはじめとする376人が死罪に処せられた。しかしこのとき、金次郎は若年を理由に遠島処分で許された。1866年、減刑されて若狭小浜藩の牢獄に入れられたが、1868年に罪を許されて水戸への帰国を許された。
帰国後は、内部対立などで人材を失って衰退していた水戸藩の再建を図るべく、藩政の実権を掌握して藩政改革に乗り出したが、すでに時勢が遅かったために失敗した。廃藩後は窮迫し、一説によれば、晩年は伊香保温泉で風呂番をしていたと伝えられている。1895年、48歳で死去。