武蔵陵墓地
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武蔵陵墓地(むさしりょう ぼち)は、東京都八王子市にある皇室墓地。大正天皇陵・昭和天皇陵はじめ4陵が存在する。
昭和天皇陵が造営される以前は多摩御陵(たま ごりょう)と称していたが、現在でも通称として使われている。
宮内庁書陵部多摩陵墓監区事務所がある。
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[編集] 大正天皇陵「多摩陵」
多摩陵(たま の みささぎ)は大正天皇の陵。1926年(大正15年)12月25日に死去した大正天皇は翌年2月7日に新宿御苑において斂葬の儀(葬場殿の儀、大葬)が行なわれ、翌8日に陵所に埋葬された。陵墓は、前年10月に公布された皇室陵墓令に基づいて当時の東京府南多摩郡横山村から浅川村、元八王子村の御料地内に造営され、1月3日に日枝神社宮司による陵所地鎮祭が行なわれた。敷地内には数戸の農家や東照寺や長泉寺などの寺社、民間墓所などがあり、交渉をして移転が行われた。こうして武蔵陵墓地および多摩陵(たまのみささぎ)が始まった。
陵域の面積は2500平方メートルあり、陵の形態は上部2段・下部3段の上円下方墳で南面している。上円は直径15メートルで高さは10.5メートルあり、一番下部の段は一辺27メートルの正方形で多摩川の石が葺き石として用いられており、南面は前方部の形をとっているので前方後円墳のような形をしている。其れは奈良県桜井市に伝舒明陵古墳の形状に酷似する。
鳥居を立てて、陵の正面には皇族拝所がある。階段を下ったところに特別拝所があり、さらにくだったところに一般拝所がある。皇族拝所と一般拝所には鳥居が設けられている。
毎年12月25日には陵および皇居宮中三殿で大正天皇例祭が行なわれている。当日には陵所に幔幕が巡らされ、皇族拝所に仮屋が設置されて祭祀が行なわれる。
[編集] 貞明皇后陵「多摩東陵」
多摩東陵(たま の ひがし の みささぎ)は貞明皇后の陵。 1951年(昭和26年)5月17日に崩御した貞明皇后は6月22日に斂葬の儀が行なわれ、陵所に埋葬された。
陵は大正天皇陵のほぼ東に位置し、そのため「多摩東陵」と命名されている。陵の構成は一般拝所に段がないことを除けば、大正天皇陵とほぼ同じである。
毎年5月17日には陵および皇居宮中三殿で貞明皇后例祭が行なわれている。当日には陵所に幔幕が巡らされ、皇族拝所に仮屋が設置されて祭祀が行なわれる。
[編集] 昭和天皇陵「武蔵野陵」
武蔵野陵(むさしの の みささぎ)は昭和天皇の陵。昭和天皇は1989年(昭和64年)1月7日に崩御した。1月17日には陵所地鎮祭が行なわれ、造営が始まった。2月24日に斂葬の儀が行なわれ、同日造営中の陵所に埋葬された。27日に「武蔵野陵」と命名された。この昭和天皇陵の造営により、墓地の名称が「武蔵陵墓地」と改称された。
大正天皇陵の東北に位置し、ほぼ南面している。陵の形態は大正天皇陵などと同じく、上部2段・下部3段の上円下方墳である。陵の形や拝所の構成などは一般拝所に段がないことを除けば大正天皇陵とほぼ同じだが、大正天皇陵より上円部の丸みがなだらかになり、また一般拝所から墳丘がある段までの高さが低くなっており、威圧感を落とす試みがなされている。
毎年1月7日に陵および皇居宮中三殿で昭和天皇祭が行なわれている。当日には陵所に幔幕が巡らされ、皇族拝所に仮屋が設置されて祭祀が行なわれる。
[編集] 香淳皇后陵「武蔵野東陵」
武蔵野東陵(むさしの の ひがし の みささぎ)は香淳皇后の陵。香淳皇后は2000年(平成12年)6月16日に崩御し、7月25日に斂葬の儀が行なわれ、埋葬された。
昭和天皇陵の南東に接して位置しておりほぼ南面している。おおよそ東方にあることから「武蔵野東陵」と名付けられた。拝所などの構成は他の陵と同様である。
毎年6月16日に陵および皇居宮中三殿で香淳皇后例祭が行なわれている。当日には陵所に幔幕が巡らされ、皇族拝所に仮屋が設置されて祭祀が行なわれる。