氷川女体神社
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氷川女体神社 | |
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所在地 | 埼玉県さいたま市緑区宮本2丁目17-1 |
位置 | 北緯35度53分13秒 東経139度41分37.5秒 |
主祭神 | 奇稲田姫命 |
社格等 | 武蔵国一宮・郷社 |
創建 | 崇神天皇の御代 |
氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ)は、埼玉県さいたま市緑区(旧浦和市)にある神社である。旧社格は郷社。武蔵国一宮を称する。
目次 |
[編集] 祭神
大宮の氷川神社を「男体社」とし、当社を「女体社」としたものである。女体の名の通り、奇稲田姫命(大宮氷川神社の祭神である須佐之男命の妻)を主祭神とする。ほかに、両神の子である三穂津姫命・大己貴命を配祀する。
[編集] 歴史
社伝では、崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと伝える。『大日本地名辞書』では、式内「武蔵国足立郡 多氣比賣神社」の論社としているが、多氣比賣神社は桶川市篠津の多氣比賣神社とする説が有力である。
近世の文書や拝殿の額に「武蔵国一宮」と記されている。これは大宮の氷川神社と当社、および中山神社(簸王子社)の三社を一体のものとして、大宮の氷川神社が武蔵国一宮であることから当社もそれに含まれると解釈したものである。現在は、氷川神社とともに「全国一の宮会」に加盟している。
[編集] 磐船祭祭祀遺跡
境内前の御幸道のつき当たりには「磐船祭祭祀遺跡」がある。元々、氷川女体神社で最も重要な祭祀は、見沼で行われていた御船祭であった。しかし、享保12年(1727年)に見沼が干拓され、見沼での御船祭が行えなくなった。そこで、見沼の一部であった場所に、池の中に丸い島を築いた祭祀場を設け、そこで御船祭の代わりとなる「磐船祭」を行うこととなった。磐船祭は明治初年には行われなくなったが、その遺跡が良い保存状態で残されている。
[編集] 参考文献
- 青木義脩 『氷川女体神社』 浦和市郷土文化会、1975。
- ―― 『氷川女体神社』 さきたま出版会、1984。
- 野尻靖 『氷川女体神社 浦和』 さきたま出版会、1995。ISBN 4878912480
- 井上香都羅 『みむろ物語―見沼と氷川女体社を軸に』 さきたま出版会、1998.ISBN 4878911123
[編集] 外部リンク
[編集] 関連項目
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