永山武臣
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永山 武臣(ながやま たけおみ、1925年(大正14年)8月30日 - 2006年(平成18年)12月13日)は、実業家。松竹社長・会長。東京都出身。息子はフジテレビプロデューサーの永山耕三。
京都大学経済学部卒業。1947年(昭和22年)、松竹に入社。主に演劇畑を歩む。1951年(昭和26年)に再建された東京・歌舞伎座を中心に歌舞伎の数々の舞台制作に携わり、海外公演を次々と成功させるなど、戦後の歌舞伎発展に大きく貢献した。1984年(昭和59年)、当時の社長大谷隆三が放火騒動を起こし引責辞任したのに伴い、社長に就任。1991年(平成3年)からは会長に就任。1998年(平成10年)に起こった奥山融社長、奥山和由専務の解任劇では主導的役割を果たした。
1986年(昭和61年)4月29日、藍綬褒章受章。1994年(平成6年)10月9日から2001年(平成13年)1月5日まで郵政省郵政審議会委員を務める。1995年(平成7年)、長年の歌舞伎普及の功績が評価され文化功労者に選ばれた。
2006年(平成18年)12月13日午前7時48分、急性白血病のため都内の病院で死去。享年81。死後、従三位に叙され、旭日大綬章を授けられた。