洞ヶ峠
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洞ヶ峠(ほらがとうげ)は、京都府八幡市八幡南山にある峠の名前。現在は国道1号が通っており、交差点の名前として『八幡洞ヶ峠』がある。南西方向は大阪府枚方市。峠ではあるが、曲がりくねった道はなく線形の良い道路である。
[編集] 伝承
天正10年(1582年)、本能寺の変の直後に主君織田信長を討った明智光秀の軍と信長の重臣羽柴秀吉の軍が山城国山崎において激突した(山崎の戦い)。この時、明智・羽柴の双方から加勢を依頼された大和の大名筒井順慶は、一度は明智側に従って山崎の南方にある洞ヶ峠まで兵を進めながらも、最終的にはどちらに付くか日和見をしたとの伝説が在る為、日和見する事を洞ヶ峠と表現する事がある。
しかし、この伝説は史実に反しており、筒井順慶は最終的には洞ヶ峠に着くことなく大和へと撤兵して中立を保ったと言われている。
史実に関連するもののほかに、この峠は京・大坂の都を眺望できるため、民話の舞台となった。
[編集] 心霊スポット
国道1号における大阪府と京都府の境界が洞ヶ峠である。昭和末期までこの周囲は雑木林で照明設備が少なく、昼夜問わず寂しさを感じさせていた。それゆえに、幽霊がよく現れる場所、つまり「心霊スポット」としてよく知られ、地元住民やここを通行する人々の間で様々な伝説が語られてきた。雑誌やテレビにもしばしば取り上げられた。
語られたエピソードの一つを紹介する。「ある夜、タクシー運転手は髪の長い女を乗せた。彼女は洞ヶ峠を越える道を指示し、峠を越えるころに運転手が気になって振り返るとそこには誰もおらず、座席がしっとりと水で濡れていた・・・」
[編集] 現況
1990年代に入り、洞ヶ峠はかつての姿を完全に失い、全く別の空間として開発された。 通行する車の数が極めて多いこの区間は、アミューズメント施設やファミリーレストランなどに好適であり、店舗が続々と建設された。また、峠の北側は八幡市東部や京田辺市西部に造成された高級住宅街の玄関口(京都府道284号八幡インター線)となり、道路照明の整った交差点として整備された。
その結果深夜でも明るく、もはや幽霊の出る幕は何一つない状態となり、新しい住民の増加も伴って、前述の幽霊談義は過去のものとなった。