浅井敬壹
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浅井 敬壹(あさい けいいち、1939年10月24日 - )は、日本の合唱指揮者である。血液型はB型。
[編集] 人物
京都府出身で、幼年期を中国内蒙古自治区の開魯で育つ。同志社大学法学部卒業。民間企業に勤務する一方で、1963年(昭和38年)、ロシアから来日した当時「世界一」と謳われた合唱団の演奏会を聴き、自分と仲間達ならその合唱団を10年で超えられると感じ、「千年の古都・京都に世界一の合唱団を」との理想を掲げ、合唱団京都エコーを設立。本人の説によれば将軍塚のてっぺんから京の町を見下ろして誓ったとのことである。同団を率いて、全日本合唱コンクールで1980年(昭和55年)~1999年(平成11年)まで20年連続金賞を達成する。還暦を過ぎた現在も、多くの合唱団での指揮・指導や、各種講習会での講師、コンクールの審査員等、精力的に活動している。100人の合唱団を指揮するときは100対1ではなく1対1が100人分あるのだと語り、合唱指揮は一人ひとりの合唱団員との真剣勝負であることを強調する。その指揮スタイルは「アインザッツがわからない」「打点がない」などと評されることもあるが、京都エコーを初めとする彼の指導合唱団員は彼の指揮スタイルに十分慣れているため、阿吽の呼吸で歌い出し、団員以外からは不思議がられる。また、独特の「泣き節」によって他の指揮者の追随を許さない情緒的な演奏を生み出すが、反面、変拍子や現代的スタイルのアップテンポの楽曲には、多少手こずるようである。
全日本合唱連盟理事長。日本合唱指揮者協会会員。
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