浮田和民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浮田 和民(うきた かずたみ、1860年1月20日(安政6年12月28日) - 1946年10月28日)は、大正デモクラシー初期の代表的思想家。同志社英学校最初の卒業生。
同志社を卒業した後約11年間母校の教員を務め(その間イェール大学に2年間留学)、同志社政法学校では政治学、国家学、憲法講義などを担当する。1897(明治30)年、アメリカン・ボードと同志社の分離独立問題をめぐる学内紛争により同志社を辞職。東京専門学校(現早稲田大学)に移籍する。早稲田に移籍後は山田一郎、高田早苗、安部磯雄らと共に早稲田政治学の基礎を形成。また総合雑誌『太陽』の編集主幹として活躍。当時の若者に大きな影響を与える。民本主義の理論を最初に提唱したのは浮田であるとされ、吉野作造の民本主義は彼の理論を受け継いだものだと言われている。大隈重信のブレーンでもあった彼を評して坪内逍遥は浮田を「早稲田の至宝」と呼んだ。
[編集] 主著
- 『倫理的帝国主義』隆文館、1909年。
- 『政治学概論』
- 『日米非戦論』(渡邊金三との共著)実業之日本社、1925年。