大正デモクラシー
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大正デモクラシー(たいしょう-)は、日本において、日露戦争後の国家体制の再編成期から護憲運動の高揚期にかけて興った、藩閥政治を批判し民衆のための政治を求める広範な運動を指す。米騒動を機に運動が本格化したといわれている。
[編集] 概要
「民本主義」を提唱した政治学者の吉野作造と、天皇機関説を唱えた公法学者の美濃部達吉の二人が理論的指導者と言われているが、特色として、私学出身の学者や在野の言論人の活躍も注目されるべきである。すなわち、東京帝国大学出身の吉野・美濃部の両人に加え、中央大学出身の長谷川如是閑や早稲田大学出身の大山郁夫といったジャーナリストや学者の発言も、あり方に大きな影響を与えた。政治的には政党内閣制の慣例化や普通選挙法の成立を生んだ。
Democracyの訳語は民主主義であるが、“人民に主権がある”の明言は、擁権された天皇主権と矛盾するため、民本主義という訳語を採用した。天皇制との対決を避けたことが限界とされるが、当時の体制下では止むを得ない事であった。言論界で社会主義や共産主義の勢力が強くなり、普通選挙という当面の目標も達成されると、民本主義などの思想は時代遅れとみなされるようになった。
しかし、大正デモクラシーは戦後民主主義を形成する遺産として大きな意味を持った、と指摘する論者もE.O.ライシャワーをはじめ数多い。昭和期にはいると軍部の台頭により日本の民主主義は後退するが、その思想は受け継がれ、日本が民主的な国家に移行する起点となった。
一方、源流について吉野作造は、後に国家(国権)主義と接近していった自由民権運動ではなく、社会主義思想や無産政党台頭であるとしている。
[編集] 参考文献
- 太田雅夫『増補 大正デモクラシー研究-知識人の思想と運動』、新泉社、1990年5月
- 鈴木正節『大正デモクラシーの群像』、雄山閣、1983年2月
- 住谷悦治ほか編『大正デモクラシーの思想』(『講座・日本社会思想史』2)、芳賀書店、1967年1月
- 松尾尊兌 『大正デモクラシーの研究』(『歴史学研究叢書』)、青木書店、1966年6月
- 松尾尊兌 『大正デモクラシー』(『同時代ライブラリー』184)、岩波書店、1994年5月
[編集] 関連項目
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