渋谷天外 (2代目)
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渋谷天外(しぶやてんがい、本名・渋谷一雄、1906年6月7日-1983年3月18日)は、松竹新喜劇を創立した上方を代表する喜劇俳優、劇作家。
[編集] 来歴・生涯
楽天会の主宰者,渋谷天外 (初代)の長男として京都市で生まれる。8歳で同劇団で初舞台を踏む。父の死去後、楽天会は解散する。
しばらく舞台から離れていたが、1922年「志賀廼家淡海一座」に加わる。1923年から、曾我廼家十郎のすすめで劇作にも意欲的に取り組んだ。
1928年、曾我廼家十吾、石川薫らと松竹家庭劇を結成し、角座で旗揚げ公演を行う。翌1929年、2代目渋谷天外を襲名し、全国的に活躍する。 戦後、1946年松竹家庭劇を脱退し、劇団「すぃーとほーむ」を結成するが、1948年、「五郎劇」、「松竹家庭劇」と合同して、「松竹新喜劇」を結成し、中座で初公演を行う。
1956年に十吾は退団するが、自身の弟子的存在で、以後、人気俳優となる藤山寛美とのコンビで人気を呼ぶ。
その後、看板俳優兼作家として大活躍。執筆した作品は556篇にのぼり、合作、脚色もあわせると1000篇を超える。代表作に「親バカ子バカ」「桂春団治」などがある。
1957年、「毎日演劇賞」、1964年、「NHK放送文化賞」を受賞する。
1965年、寛美の多額な借金等の悩み等の心労で公演中に倒れ、麻痺が残るが、1967年舞台に復帰する。
寛美が新喜劇を解雇された時に詫びたが「アホ!借金なんか作りよって!」と一喝した(事実上、この時点で寛美は「破門」の烙印を押された。)。
1968年、紫綬褒章、1977年には、勲四等旭日小綬章を受章する。
1983年死去。1992年に息子の喜作が3代目を襲名する(渋谷天外 (3代目))。
[編集] 演じた俳優とドラマ
- 津川雅彦-「藤山寛美物語」1991年9月放送(MBS制作 TBS系)