澤為量
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
澤 為量(さわ ためかず、1812年(文化9年) - 1889年(明治22年))は幕末・明治初期の公卿。官位は参議・外務卿従二位子爵。沢家の遠祖は天武天皇皇子舎人親王という。
父は治部大輔・澤量行朝臣。文政4年(1821年)に従五位下。文政8年(1825年)に元服して正五位下・武蔵兼介。その後嘉永元年には従三位に叙される。文政天保10年(1836年)に従四位上・民部大輔に任官。嘉永元年には正三位安政2年(1855年)に従二位に昇る。安政5年には養子の澤宣嘉とともに廷臣八十八卿列参事件に加わり、日米修好通商条約勅許に反対。その後は病弱のため、公職からは退いた。明治17年7月7日華族令制定に伴い子爵に叙せられる。明治22年薨去。澤家は後に伯爵に陞爵する。