玖島城
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玖島城の航空写真 (1974年撮影・国土航空写真) |
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通称 |
大村城、九島城 |
城郭構造 |
連郭式平山城 |
天守構造 |
なし |
築城主 | |
築城年 | |
主な改修者 |
大村純頼 |
主な城主 | |
廃城年 | |
遺構 |
石垣、堀、再建櫓・土塀 |
位置 |
玖島城(くしまじょう)は、日本の城。所在地は長崎県大村市玖島。
[編集] 概要
城は大村湾に突き出した半島に築城された平山城で天守は建造されなかった。現在は大村公園となっており、天然記念物のオオムラザクラや菖蒲など季節折々の花が咲いている。また、本丸跡は大村神社となっている。石垣が現存し、板敷櫓が再建されている。
[編集] 沿革
藤原純友を祖とする大村氏は鎌倉時代よりこの地の地頭として、大村地方を領有してきた。
天正15年(1587年)時の領主であった大村喜前(嘉前)は豊臣秀吉の九州征伐の際に、秀吉軍に参陣し領土を安堵された。喜前はキリシタン大名であったが、秀吉の圧力により改宗した。
慶長3年(1598年)秀吉が死去すると政情不安に備えて、近代城郭すなわち玖島城の築城に着手し、翌慶長4年(1599年)完成した。 大村氏は江戸幕府が開府した後も、この地を領することを許され27,000石の大村藩として明治維新まで存続した。玖島城はその藩庁としての役割を果たした。
慶長19年(1614年)より喜前の子の純頼により城の拡張、改修が行われ、この際には城造りの名手である加藤清正により設計指導を受けたとされる。清正の指導を受けたとされる証拠に、美しい扇の勾配をもつ石垣が見られる。
喜前はキリスト教から改宗した後はキリシタンを徹底的に弾圧し、このために元和2年(1616年)恨みを持ったキリシタンにより城内で毒殺された。純頼もまた、元和5年(1619年)に毒殺されている。
明治維新後廃城となり、建造物は破却された。明治17年(1884年)本丸跡に大村氏歴代を祀る大村神社が建立された。