畑中清詞
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畑中 清詞(はたなか きよし、1967年3月7日-)は、愛知県北名古屋市出身の元プロボクサー。WBC世界スーパーバンタム級及び日本スーパーフライ級の元王者。
中学校からボクシングを始め、進学した享栄高校ではインターハイ、国体に出場している(2年後輩に薬師寺保栄)。「オリンピックより、プロでお金を稼ぎたい」と高校3年でプロ入りし、持ち前のパンチ力でKOの山を築いた。世界戦では無敗で挑んだ初挑戦時こそ敗北し「チャンピオンとしてソウルオリンピックを観戦する」夢は破れたが、2度目の挑戦で念願の世界王座を手にした。しかし初防衛に失敗した後眼筋麻痺を発症し、悔いの残る現役引退となった。
引退後はボクシング解説者に転身。その後、SOUL BOX畑中ボクシングジムを開設し、日本スーパーフェザー級王者の杉田竜平、東洋太平洋フライ級王者の中野博等を育てている。
[編集] 戦績
- 1984年11月 プロデビュー。
- 1986年3月4日 全日本スーパーフライ級新人王決定戦。達城広光を1回KOで降す。
- 1987年2月23日 日本スーパーフライ級王座に挑戦。王者、丸尾忠を3回KOで降し王座獲得。以後1回防衛。
- 1988年9月4日 WBC世界スーパーフライ級王座に初挑戦。15勝(11KO)無敗の記録を引っさげ王者、ヒルベルト・ローマン(メキシコ)と対したが、初回にダウン、ローブローを喫す。以降も老練な王者に翻弄され12回判定で敗れる。
- 1991年2月3日 WBC世界スーパーバンタム級王座に挑戦。王者、ペドロ・デシマ(アルゼンチン)から6度のダウンを奪い8回TKO勝ちし、王座獲得。
- 1991年6月14日 WBC世界王座の初防衛戦。ベテラン、ダニエル・サラゴサ(メキシコ)に12回判定で敗れ王座陥落。この時痛めた右目に眼筋麻痺を発症し、無念の引退。
最終戦績22勝(15KO)2敗1分。
[編集] 外部リンク
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