益田大介
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益田 大介( ますだ だいすけ、1973年9月27日 - )は、平成期(2005年~)の元プロ野球選手。最終所属球団は東北楽天ゴールデンイーグルス。ポジションは外野手である。現役時代の背番号は40番。
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[編集] 来歴・人物
1995年にドラフト6位で中日ドラゴンズに入団。シュアな打撃が持ち味のアベレージヒッターで、2年目の1997年には一番打者として定着し、117試合に出場する活躍を見せたが、規定打席に到達したのはこのシーズンだけである。レギュラーの座を掴みかけていたが、翌年から出場機会は徐々に減少していき、代打起用が中心となる。中日がリーグ優勝を決めた1999年はレギュラーシーズン中は全くと言っていい程出場機会に恵まれなかったが、この年の日本シリーズで活躍をした。シリーズ初打席で致命的な送りバントを小フライで失敗するも、以降は汚名返上とばかりにヒットを量産し、シリーズ打率6割を上回る驚異的な数字を残す。見事日本シリーズ首位打者に輝いた。
2001年途中、金銭トレードで大阪近鉄バファローズへ移籍し、代打要員として活躍した。その年の近鉄が優勝を決めた試合では9回裏ノーアウト2・3塁の場面でギルバートの代打で登場して四球を選び、北川博敏の代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームランのお膳立てをした。元中日、元近鉄らしく、パンチ力やチャンス・代打でのメンタリティに優れる。
2005年には楽天へ移籍。2006年シーズン終盤に楽天から戦力外通告を受ける。本人は他球団でのプレーを希望し、合同トライアウトを受験するも声がかからず、事実上の引退となる。
2007年からは、「楽天イーグルス・BASEBALL SCHOOL」の常勤講師や、同球団が主催する少年野球塾のゲストコーチなどとして活動している。
[編集] 略歴
- 身長・体重 1m82cm、80kg
- 投打 右/左
- 出身地 兵庫県明石市
- 血液型 O型
- 球歴・入団経緯 林小学校-衣川中学校-滝川二高-龍谷大-中日(1996年~2000年)-近鉄(2001年~2004年)-楽天(2005年~)
- プロ入り年度・ドラフト順位 1995年(ドラフト6位)
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
555試合 1147打数 306安打 16本塁打 101打点 打率.267
[編集] 年度別成績
- 打撃成績
年度 | 所属 | 背番号 | 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 打率 | 推定年俸(万) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996 | 中日ドラゴンズ | 40 | 49 | 103 | 31 | 1 | 3 | .301 | 840 |
1997 | 中日ドラゴンズ | 40 | 117 | 402 | 108 | 2 | 24 | .269(24位) | 1400 |
1998 | 中日ドラゴンズ | 40 | 55 | 121 | 28 | 1 | 14 | .231 | 3500 |
1999 | 中日ドラゴンズ | 40 | 8 | 13 | 4 | 1 | 1 | .308 | 3000 |
2000 | 中日ドラゴンズ | 40 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | .000 | 2700 |
2001 | 中日ドラゴンズ | 40 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 2200 |
大阪近鉄バファローズ | 0 | 55 | 47 | 16 | 2 | 10 | .340 | ||
2002 | 大阪近鉄バファローズ | 0 | 45 | 53 | 11 | 0 | 1 | .208 | 2900 |
2003 | 大阪近鉄バファローズ | 0 | 77 | 94 | 26 | 7 | 19 | .277 | 2400 |
2004 | 大阪近鉄バファローズ | 0 | 82 | 180 | 49 | 2 | 16 | .272 | 2750 |
2005 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 40 | 50 | 107 | 27 | 0 | 10 | .252 | 2750 |
2006 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 40 | 16 | 26 | 6 | 0 | 3 | .231 | 2450 |
通算 | 555 | 1147 | 306 | 16 | 101 | .267 |
[編集] エピソード
- 1997年には、セリーグ最多となる8本の三塁打を記録している
- スコアボードには【益田大】と表示されるのが一般的だが西武ドームでは【益田】になる