石森史郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石森 史郎(いしもり ふみお、1931年7月31日 - )は、北海道羽幌町出身の日本の男性脚本家。日本大学芸術学部卒業。
目次 |
[編集] 概要
日大在学中に執筆した晩鐘がシナリオ作家協会新人シナリオコンクールに入賞する。テレビママちょっと来てで脚本家デビュー。映画は日活から「噂の風来坊」から始まり「私は泣かない」「ああ、ひめゆりの塔」執筆後、松竹に所属。「約束」「旅の重さ」「同棲時代」「愛と誠」「ふれあい」「凍河」「博多っ子純情」を執筆後、フリーとなる。東宝「暴力学園大革命」「ボクサー」東映動画「銀河鉄道999」角川映画「ボビーに首ったけ」。大林宣彦監督とは「青春デンデケデケデケ」「あの夏の日 とんでろじいちゃん」「告別」「理由」など映画71本近く執筆。 テレビはNHKテレビ小説「水色の時」銀河テレビ小説「青春」(ギャラクシー賞)「ザ・ガードマン」「必殺仕事人」「虹のエアポート」等一千本あまりの数々の作品を精力的に執筆している。「虹をかける天使達」で初監督も手がけている。芸術選奨文部大臣新人賞、毎日映画コンクール脚本賞、厚生大臣優秀賞など多数受賞。 私塾「青春脚本塾」を主催し、後輩ライターの育成にも熱心である。
[編集] 特撮番組への参加
1972年、「仮面ライダー」に参加して以降、「ウルトラマンエース」、「ザ・カゲスター」といった、特撮番組のシナリオを度々執筆するようになる。
- 当時小学生だった石森の息子が学校で『お前のオヤジは脚本家だって言うけど、仮面ライダーやウルトラマンの話は書いてないじゃないか』といじめられた事があり、東映で監督を務めていた友人の伝手で、自ら仮面ライダーの撮影所を訪ねたのが切っ掛け。またそのとき、同じような事が原因で売り込みに来ていた脚本家たちが大勢いたという。
[編集] 映画 作品
- 噂の風来坊(1964年)
- 東京五輪音頭(1964年)
- 情婦と牝(1965年)
- 禁じられた肌(1965年)
- 拳銃無宿 脱獄のブルース(1965年)
- 情事に賭けろ(1965年)
- チコという女 可愛い肌(1965年)
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本の脚本家 | 人物関連のスタブ項目 | 1931年生