大林宣彦
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大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年1月9日-)は"映像の魔術師"とも称される映画監督。自主製作映画の先駆者として、CMディレクターとして、映画監督として、日本の映像史を最先端で切り拓いた。広島県尾道市土堂出身。広島県立尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退。2006年(平成18年)4月から尚美学園大学大学院芸術情報研究科教授。
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[編集] 来歴
代々続く医家の長男として尾道に生まれる。父は福山市金江町の出身で、尾道市医師会長や尾道市教育委員長を歴任。母は茶道裏千家の教授で、国際ソロプチミスト尾道の初代会長。
2歳でブリキの映写機のおもちゃに親しみ、6歳でフィルムに絵を刻んでアニメーションを作った[1]。15歳の時に小津安二郎が『東京物語』を撮影する現場を見学。16才の夏休みに福永武彦の「草の花」を読み感銘を受ける。いつかショパンのピアノ曲のような映画を作りたい、と想いそれは30年後『さびしんぼう』で実現する。
1956年上京し、成城大学在学中から8mmで作品を発表。自主製作映画の先駆者として早くから名前を知られた。1960年大学は中退。1963年に初の16mm作品『喰べた人』がベルギー国際映画祭で審査員特別賞。『尾道』、『中山道』、『食べた人』、『Complexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って 葬列の散歩道』、『EMOTION=伝説の午後=いつか見たドラキュラ』などがアングラブームに乗って反響を呼ぶ。
60年代後半からは草創期のテレビコマーシャル(CM)にCMディレクターとして本格的に関わり始め、あまりのヒットに社名を変更したチャールズ・ブロンソンの「マンダム」、ラッタッタのかけ声で話題を呼んだ「ホンダロードパル」のソフィア・ローレン、「ラックス化粧品」のカトリーヌ・ドヌーヴ、「レナウン・シンプルライフ」のリンゴ・スターなどの起用で、今日に続く海外スターのCMの先駆となり、また山口百恵・三浦友和コンビの「グリコアーモンドチョコレート」、高峰三枝子・上原謙の「国鉄フルムーン」など10年間で製作したテレビCMは2000本を越え、テレビCMを新しい映像表現として確立した。また、自身も九州電力のCMに出演した。
1977年の『HOUSE』で商業映画に進出。実写とアニメの合成など様々な特撮を使って見せる華麗な映像世界は、世の映画少年を熱狂させた。また従来、監督は助監督を経験してからなるものであったが、助監督経験なし、自主映画出身、CMディレクター出身という新たな流れを生み出し(この流れから森田芳光、市川準らが出た)、日本映画を活性化させた(現在はテレビ局が製作する映画が増えているため、テレビドラマの演出家出身(本広克行、土井裕泰ら)という新しい流れが出ている)。同年の『瞳の中の訪問者』と共にブルーリボン賞新人賞受賞。
1982年、自身の郷愁を込めて尾道を舞台とした『転校生』を発表。『時をかける少女』、『さびしんぼう』と合わせ"尾道三部作"として多くの熱狂的な支持を集め、ロケ地巡りのファンを増やした。またこれらの映画作りには、地元尾道を中心とした多くの賛同者の協力があり、近年全国的に拡がる「フィルム・コミッション」の先駆としても評価されている。
以降、多くの映画作家が苦しんだ作家性と商業的成功を両立し、数多くの作品を世に送り出している。現在もコンスタントに映画を撮り続けている僅かな監督の一人である。
妻は映画製作者の大林恭子。娘の大林千茱萸(ちぐみ)は映画感想家。劇作家・演出家の平田オリザは甥にあたる。
[編集] 主な監督作品
- 「HOUSE/ハウス」(1977年)
- 「BLACK JACK/瞳の中の訪問者」(1977年)
- 「ふりむけば愛」(1978年)
- 「金田一耕助の冒険」(1979年)
- 「ねらわれた学園」(1981年)
- 「可愛い悪魔」(TVドラマ・日本テレビ「火曜サスペンス劇場」1982年)
- 「転校生」(1982年)
- 「時をかける少女」(1983年)
- 「少年ケニヤ」(アニメ 1984年)
- 「天国にいちばん近い島」(1984年)
- 「廃市」(1984年)
- 「彼のオートバイ・彼女の島」(1985年)
- 「さびしんぼう」(1985年)
- 「姉妹坂」(1985年)
- 「野ゆき山ゆき海べゆき」(1985年)
- 「四月の魚/Poisson d'avril」(1986年)
- 「日本殉情伝おかしなふたり/ものくるほしきひとびとの群」(1986年)
- 「漂流教室」(1987年)
- 「異人たちとの夏」(1988年)
- 「私の心はパパのもの」(1988年)
- 「北京的西瓜」(1989年)
- 「彼女が結婚しない理由(わけ)」(1990年)
- 「ふたり」テレビドラマ(NHK)版(1990年)
- 「ふたり」(1991年)
- 「青春デンデケデケデケ」(1992年)
- 「はるか、ノスタルジィ」(1992年)
- 「水の旅人/侍KIDS」(1993年)
- 「女ざかり」(1994年)
- 「あした」(1995年)
- 「SADA/戯作・阿部定の生涯」(1998年)
- 「風の歌が聴きたい」(1998年)
- 「あの、夏の日/とんでろ、じいちゃん」(1999年)
- 「なごり雪」(2002年)
- 「理由」(TVドラマ→映画 2004年)
- 「理由(日テレヴァージョン)」(TVドラマ 2005年)
- 「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」(2007年)
[編集] 尾道三部作
大林宣彦が、出身地尾道を舞台に撮影した映画の代表作として認知されている3つの映画作品のこと。後に、同じように尾道を舞台にした作品が3作品造られため、これを“新尾道三部作”と称することもある。
- 尾道三部作
- 『転校生』(1982年)
- 『時をかける少女』(1983年)
- 『さびしんぼう』(1985年)
- 新尾道三部作
- 『ふたり』(1991年)
- 『あした』(1995年)
- 『あの、夏の日』(1999年)
[編集] テレビ版から劇場版
大林作品にはテレビで製作された作品を後に劇場版として公開する、または劇場公開に先行してテレビで放送する、というケースが多く見られる。 「理由」はWOWOWで放送、劇場公開の後、さらに日本テレビで「日テレヴァージョン」が放送された。
- 麗猫伝説 (日本テレビ「火曜サスペンス劇場」1983年8月30日放送)
- → 劇場公開 1998年8月16日
- 私の心はパパのもの (日本テレビ「水曜グランドロマン」1988年11月30日放送)
- → 劇場公開 1992年6月13日
- ふたり (NHK「子どもパビリオン」1990年11月9日・16日放送)
- → 劇場公開 1991年5月11日
- 彼女が結婚しない理由 (日本テレビ「水曜グランドロマン」1990年12月26日放送)
- → 劇場公開 1992年6月13日
- はるか、ノスタルジィ (WOWOW 1992年10月25日放送)
- → 劇場公開 1993年2月20日
- マヌケ先生(原作・総監督、中国放送/TBS 1998年1月24日)
- → 劇場公開 2000年9月30日
- 淀川長治物語・神戸篇 サイナラ (テレビ朝日「日曜洋画劇場」1999年11月7日放送)
- → 劇場公開 2000年9月30日
- 告別 (BS-i 2001年2月24日放送)
- → 劇場公開 2001年7月14日
- 理由 (WOWOW「ドラマW」2004年4月29日放送)
- → 劇場公開 2004年12月18日
- → 日本テレビ「DRAMA COMPLEX」 2005年11月8日放送
[編集] 関連項目
- Category:大林宣彦の監督映画
- 広島県出身の有名人一覧
- 山中恒(映画の原作となった作品が多い)
- 宮崎尚志
- 黒澤明
- 林海象
- 石森史郎