碧血碑
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碧血碑(へっけつひ)は、北海道函館市函館山に明治8年(1875年)5月に建立された戊辰戦争、特に箱館戦争戦死者を弔う旧幕府軍側の墓である。高さはおよそ6m程もある。
箱館戦争で賊軍とされた旧幕府軍は、戊辰戦争終結後もすぐには遺体の埋葬が許されず、これを哀れに思った箱館の侠客柳川熊吉が遺体を回収して実行寺に埋葬した。当然、柳川熊吉は明治政府からの追及を受けたが、柳川の堂々とした態度に官吏は埋葬を黙認せざるを得なかったと言う。後に明治4年(1871年)柳川は函館山の土地を買い、そこに函館戦争戦死者を実行寺より改葬した。明治7年(1874年)8月18日に、明治政府が正式に賊軍の汚名を負った者の祭祀を許可すると、箱館戦争の生き残りである榎本武揚・大鳥圭介らが柳川熊吉と協力して、この碧血碑を建立した。碑石は榎本らが船ではるばる運んできたものだと言う。碑石の文字は大鳥圭介のものだと言われるが定かではない。"碧血"とは、「義に殉じて流した武人の血は三年経つと碧色になる」という中国の故事に因んだもの。土方歳三や中島三郎助などをはじめとする約800人の戦死者を弔っている。
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