秋田俊季
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
秋田 俊季(あきた としすえ、1598年(慶長3年) - 1649年2月14日(慶安2年1月3日))は、江戸時代前期の大名。秋田家第3代。秋田実季の長男。母は細川信良の娘。正室は藤井松平信吉の娘。子は秋田盛季(長男)、秋田季久(次男)、娘(新庄直長正室)、娘(植村忠朝正室)。
徳川氏に仕え、慶長19年(1614年)からの大坂の陣でも徳川方に与して出陣した。その後も幕府による普請手伝い、将軍・徳川家光の上洛随行など、幕府に忠勤を尽くした。しかし、父の実季とは次第に不仲になり、寛永7年(1630年)に父が失脚すると、幕命により秋田氏の家督を継承した。
正保2年(1645年)、陸奥三春藩5万5,000石で移封された。慶安2年(1649年)1月3日、勤番中の大坂城で、父に先立って病気のために死亡した。法名は真如院殿実岩常固。墓地は福島県田村郡三春町の高乾院にある。
|
|
|
|