笑府
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笑府(しょうふ)は、中国の明朝末期に、馮夢竜(ふう むりゅう(むりょう)、万暦2年(1574年)-順治2年(1645年)字は猶竜、号は墨憨斎・竜子猶)が編纂した笑話集である。
馮夢竜は、当時の蘇州(現:中国江蘇省東南部)の有名な文士であり、蘇州呉県に生まれ、崇禎3年(1630年)に県の貢生となり、福建寿寧県の知県(県知事に相当)になった。明朝滅亡の際に殉死したと言われている。
「笑府」とは「笑い話の倉庫」位の意味で、あらゆるジャンル・貴賎不問の笑い話を十三巻に纏めた物であり、当時の庶民の生活や風俗、習慣を知る上で重要な資料である。笑府は、日本にも早くから伝わって来ており、江戸時代には既に抄本・訳本が出版されている。それらが落語や小咄に与えた影響は多大であり「まんじゅうこわい」等、原作をほとんど流用して作られた落語もある。
通俗文学の書籍ではよくあることだが、『笑府』も中国本土では清の時代の初めに散佚し、一冊も残らなかった。しかし日本で各種の和刻本が刊行されたおかげで、完全な散佚を免れた。20世紀に入り、中国本土で過去の通俗文学に対する再評価の機運が高まると、和刻本の『笑府』が日本から中国に逆輸出された。例えば周作人(魯迅の弟)も『苦茶庵笑話選』(1933)のなかで、日本の藤井孫兵衛刻本『笑府』によって173話を中国に紹介した。中国古典笑話をまとめて紹介した古典的労作である王利器『歴代笑話集』の口絵写真でも、『笑府』だけは、返り点を施した日本の藤井本の写真を使っている。
笑府は、各部(各巻)の最初に馮夢竜(筆名として“墨憨子”(ぼくかんし・ぼっかんし)を使用)が「墨憨子曰く・・・」と各部内容の簡単な説明をしている。
目次 |
[編集] 内容
- 笑府序 (序文)
- 巻一 古艶部(金持ち)
- 巻二 腐流部(腐れ儒者)
- 巻三 世諱部(貧乏人)
- 巻四 方術部(医者・易者)
- 巻五 広萃部(僧侶・道士)
- 巻六 殊稟部(奇人変人)
- 巻七 細娯部(娯楽)
- 巻八 刺俗部(俗物)
- 巻九 閨風部(性)
- 巻十 形体部(身体)
- 巻十一 謬誤部(間違い)
- 巻十二 日用部(衣食)
- 巻十三 閏語部(その他)
[編集] 特徴
ただ過去・現在の笑い話を集めただけでなく、編纂者が注釈や寸評、当時の時勢に応じて実際に使用した例が記載されている点である。当時の名士・高官の逸話も挿入されており、倭寇や豊臣秀吉の記述もある。現在では差別用語とされている文言も多々あるが、編纂当時はその概念が無く止むを得ない所であろう。『金瓶梅』にも笑府からの引用がある。
[編集] 十三巻中に登場する名士・高官・偉人
孔子とその弟子、張友于(未詳)、賈誼(前漢の政治家・文章家。賈詡の先祖)、車胤・孫康(蛍の光、窓の雪で有名。どちらも晋の人)、朱熹(宋の思想家)、王陽明(明の思想家)、祝允明(号は枝山)、呂洞賓(唐の道士・仙人)、劉備・関羽・張飛(三国時代の武将)、袁黄(号は了凡。明の暦学者)、丘淩(宋の殿中丞)、釈珊(宋の名僧)、申時行(字は汝黙。明の宰相)、王忬(明の兵部右侍郎で文学者)・王世貞(号或いは字は鳳洲・元美。王忬の子で文人)、王維(唐の詩人)、王無夢(未詳)、陸容(字は文量。明の進士・文筆家)、李存孝(後唐の武将)、楊茂謙(明の文筆家『笑林評』を著す)、楊貴妃(唐の玄宗の后)、唐寅(字は伯虎。明の文人・画家)、西施(古代の代表的美人)、沈璟(明の戯曲家)、張敞(前漢の京兆尹)、袁宏道(明の文士。中郎)、董永(漢の人。二十四孝の一人)、周倉(三国時代の架空の武将)、馮喜生(明の名妓)、彭祖(古代の長寿の代表的人物)、陳搏(宋の道士・仙人)。
[編集] 参考図書
- 松枝茂夫訳『笑府』上下 岩波文庫
- 駒田信二編『中国笑話集』 ちくま文庫