素敵!KEI-SHU5
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素敵!KEI-SHU5(すてき!けいしゅうふぁいぶ)は、関西テレビと吉本興業の共同製作で1987年11月~1989年3月まで、平日17:00~18:00になんばグランド花月内にあるスタジオ・NGKホールから生放送されたテレビ番組である。司会は圭・修(清水圭・和泉修)。
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[編集] 概要
[編集] 夕焼けニャンニャンの後枠
1987年4月からMBS毎日放送で平日の夕方に放送されて人気を呼んでいた、ダウンタウンが司会を務める「4時ですよ~だ」に対抗するような形で、8月で終了した「夕焼けニャンニャン」(フジテレビ系)の後番組及び関西テレビの夕方帯ローカル番組としてスタート。
[編集] 4時ですよ~だとの関係と夕ニャン視聴者の取り込み
「4時ですよ~だ」とは放送時間が1時間ずれているため裏番組とはなっておらず、過去に圭・修も「4時です~」に出演していたことから、「4時です~」の分派に当たる番組と言えるが、ダウンタウンより2年後輩である圭・修が半年余りで「4時です~」のレギュラーから抜けて他局の帯番組の司会を受け持つことになり、ライバル視されるようになったためか、開始当初はダウンタウンから疎まれていたようである。また、放送時間が夕焼けニャンニャンが放送していた枠だった為、夕焼けニャンニャンを見ていた視聴者をも取り込み成功し、「マンデー理容室」等のコーナーも人気が受ける。
[編集] ざまKANの出現と番組の終焉
1988年10月からよみうりテレビで松竹芸能所属の森脇健児・山田雅人がパーソナリティをつとめる帯番組「ざまぁKANKAN!」が「KEI-SHU5」の裏番組としてスタートすると、一転して「4時ですよ~だ」とのレギュラー出演者の交流を行うなど、協調体制を取るようになる。(同時期にダウンタウンがトークゲストに招かれたことがある)。が、次第に「ざまKAN」の勢いに押されるようになり、1989年3月に番組が終了した。
[編集] 後番組が相次いで打ち切り・バラエティ枠の撤退
終了後も圭・修を続投する形で夕方の帯番組の制作を続けたが、情報番組色を強めてリニューアルした「5時からテレビ」(1989年4月)がわずか1ヶ月で終了、村上ショージや桂小枝らベテラン勢を加えてパワーアップし、再びバラエティ色を強めた「しっぽまでアンコ!」(1989年5月~6月)にリニューアルするも2ヶ月で終了した。その3ヵ月後に月亭八方や西川のりおらのベテランを日替わりで司会に起用した「○爆ワイド」をスタートさせたが、やはり「ざまKAN」の牙城を崩せず6ヶ月で終了し、夕方5時台のバラエティ枠は終焉を迎え、アニメ等の再放送枠になった。
[編集] 出演者
- 88年10月以降の強化メンバー
[編集] 前後番組の変遷
関西テレビ 月曜~金曜17時台(1987.11~1989.3) | ||
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