花山院師賢
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花山院 師賢(かざんいん もろかた、正安3年(1301年) - 正慶元年/元弘2年(1332年)10月)は、鎌倉時代後期の公家。父は花山院師信。母は藤原忠継の孫。諡号は文貞公。
持明院統の花園天皇に仕え、参議、左大弁、権中納言に至り、後醍醐天皇の代には中宮権大夫、左衛門督を歴任して正二位大納言に至った。鎌倉幕府の北条高時が後醍醐天皇を配流しようとしたときには、天皇の身代わりとして御輿に乗り比叡山に入って北条方の目をくらまし、後醍醐天皇が笠置に遷幸するための時間稼ぎを行っている。その後、師賢も笠置に移ったが捕らえられて出家した。1332年には下総国守護千葉貞胤に預けられ、同年その地で没した。
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