花岳寺
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花岳寺 | |
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![]() 本堂 |
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所在地 | 兵庫県赤穂市加里屋1992 |
位置 | 北緯34度45分10.13秒 東経134度23分26.82秒 |
山号 | 台雲山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 正保2年(1645年) |
開基 | 秀巌龍田 |
正式名 | |
別称 | |
札所等 | 新西国三十三箇所31番 瀬戸内観音7番 |
文化財 | 山門(市文化財)、赤穂藩主・家臣墓地 |
花岳寺(かがくじ)は兵庫県赤穂市加里屋にある曹洞宗の寺院で、歴代赤穂藩主の菩提寺。山号は台雲山(たいうんざん)。現在の住職はパーリ仏教研究者の片山一良。
目次 |
[編集] 札所
- 新西国三十三箇所観音霊場第31番
- 瀬戸内観音霊場第7番
[編集] 概要
播磨国赤穂藩・浅野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺であり、また、大石良雄の祖先が眠る大石家墓地、義士墓がある。浅野家、赤穂浪士に関する展示物が収蔵されている義士宝物館が併設されている。なお、義士宝物館・墓所の拝観料は大人300円、小人100円(2006年現在)である。
[編集] 沿革
江戸時代初期の正保2年(1645年)、常陸国笠間藩より転封となった浅野長直が浅野家菩提寺として創建した。
元禄14年(1701年)、浅野長矩による江戸城松之大廊下での吉良義央に対する刃傷事件が起こり、浅野家は改易となった。翌、元禄15年(1702年)赤穂浪士による吉良邸討ち入りが起きた。(元禄赤穂事件)
その後、赤穂藩には永井家が入り、宝永3年(1706年)には森家が赤穂藩主となり、花岳寺を菩提寺と定めた。赤穂浪士37回忌にあたる元文4年(1739年)には境内に有志により義士墓が建立された。ここには遺髪が納められているとされる。また、宝暦2年(1752年)は赤穂浪士50回忌にあたり、大石良金の幼なじみ藤江熊陽(ふじえゆうよう)の撰による碑文が刻まれた義士塚が建立された。
明治維新の後、赤穂城が解体され塩屋惣門が花岳寺の山門として移築されたとされる。現在、山門は赤穂市文化財に指定されている。
[編集] 所在地
兵庫県赤穂市加里屋1992