著作者人格権
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著作者人格権(ちょさくしゃじんかくけん)とは、著作者がその著作物に対して有する人格的利益の保護を目的とする権利の総称である。
ベルヌ条約上、著作者人格権は財産権としての著作権(狭義の著作権)が他者に移転された後も著作者が保有する権利とされており(ベルヌ条約6条の2第1項)、一身専属性を有する権利として把握される。つまり、権利の主体は著作権者ではなく、あくまでも著作者である。また、保護の対象が財産的利益ではなく人格的利益である点で、狭義の著作権(著作財産権)と区別される。
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[編集] 一身専属性、処分可能性
著作者人格権は、一身専属性を有する権利であるため他人に譲渡できないと解されており、日本の著作権法にもその旨の規定がある(著作権法59条)。
また、日本法では一身専属性のある権利は相続の対象にはならないので(民法896条但書)、著作者人格権も相続の対象にはならないと理解されている。ただし、ベルヌ条約6条の2第2項が著作者の死後における著作者人格権の保護を要求していることから、一定範囲の遺族による著作者人格権の行使が認められている(著作権法116条)。ただし、著作者人格権が相続の対象になることを認める法制も存在する(フランスなど)。
著作者人格権の放棄の可能性についてはベルヌ条約には規定がなく、日本の著作権法にも規定はない。この点については、日本では事前に包括して放棄することはできないと一般的に解されており、範囲を限定しない著作者人格権の不行使契約についても無効と解する見解もある。このような考え方は、著作者人格権は一般的な人格権と同質の権利であるという理解を前提に、人格権は権利者の人格にかかわるものであり、物権的処分をすることは公序良俗に反するという考え方に基づいている。
しかし、人格権と総称されている権利にも色々なものがあり、特に著作者人格権の場合は特定の著作物に関する利益が問題になるにすぎないこと、著作権法上も著作者人格権の成否につき著作者本人の意思に依らしめている場合もあることから、著作者人格権の不行使契約も有効であり、問題が生じる場合は公序良俗の問題として扱えば足りるとする見解、更には著作者人格権の放棄を有効なものとする見解もある。実際、書面による放棄を認める法制も存在する(イギリスなど)。
また、そもそも著作者人格権の放棄が無効という考え方自体が知的財産法の専門家の間で本当に一般的なのか、ということ自体に疑義を呈する見解もある。もっとも、この点については、無効とする考え方は芸術性を重視する著作物を念頭に置いて議論をしているのに対し、有効とする考え方は実用性を重視する著作物を念頭に置いて議論をしているとも言われ、著作物の性質に応じた議論が必要との見解も示されている。
[編集] 種類
ベルヌ条約6条の2第1項には、著作者人格権の種類として以下の二種類が規定されている。
- 著作物の創作者であることを主張する権利(氏名表示権)
- 著作物の変更、切除その他の改変又は著作物に対するその他の侵害で自己の名誉又は声望を害するおそれのあるものに対して異議を申し立てる権利(同一性保持権、名誉声望保持権)
後述するとおり、日本の著作権法は、ベルヌ条約に規定されていない種類の著作者人格権をも認めている(著作権法第2章第2款)。また、著作権法が規定する著作者人格権には該当しなくても、民法の不法行為に関する規定により著作者の人格的利益が保護される場合もある。
[編集] 公表権
[編集] 概要
公表権とは、未公表の著作物(同意を得ずに公表されたものも含む)を公衆に提供又は提示する権利のことをいう(著作権法18条、ベルヌ条約には規定がない)。条文上は明記されていないものの、公表の時期や方法についても決定できる権利と理解されている。著作者は、著作物をその意に沿わない態様で公表されたくないと考える場合がある。そのため、著作物を公表するか否か、公表の方法・形式・時期の選択に関して著作者に権利を認めることにより著作者の人格的な利益を守る必要があるとして設けられている制度である。
著作者の同意を得ずに公表された著作物についても、まだ公表されていないものとして扱われる。公表するか否かはあくまでも著作者本人の意思によらしめる以上、著作物の内容が知れ渡っていること自体は、公表権の成否には影響しない。
著作者自身が公表した著作物や、著作者の同意に基づき公表された著作物については、公表権は消滅し、いったん公表について与えた同意は撤回できない。
[編集] 公表の同意の推定
著作権法は、公表の同意についての推定規定を置いている。まず著作物一般に関するものとして、著作者が著作権を譲渡した場合は、著作物の利用態様について著作権の譲受人に委ねられたと解されるので、公表に同意があったと推定される(著作権法18条2項1号)。
また、美術品等の原作品の所有者を保護するため、著作者が美術の著作物又は写真の著作物の原作品を譲渡した場合には原作品を公に展示することに同意したものと推定される(同項2号)。また、映画の著作物の場合は著作権が原始的に著作者(16条)ではなく映画製作者(2条1項10号)に帰属することがありうるが(29条)、その場合には著作者が公表について同意したものと推定される(18条2項3号)。
なお、条文上は、「推定」となっているため、裁判で公表権の侵害が問題となる場合、同意の不存在につき著作者に証明責任があると理解するのが一般的な考え方である。もっとも、これに対しては、著作者が公表の拒絶について明確な意思表示がされていなければ、公表に同意があったものとみなされるべきとする考え方もある。
[編集] 氏名表示権
氏名表示権とは、著作物の公表に際し、著作者の実名若しくは変名を著作者名として表示し、又は著作者名を表示しないこととする権利のことをいう(著作権法19条)。著作者は、自己の著作物につき自己の著作物であることを明らかにしたい場合、それを秘したい場合、著作物に対する自己の立場を表わしたい場合がある。そのような著作者の精神的利益を保護するため、著作物に実名又は変名の表示、非表示を行う旨の権利が認められている。なお、ベルヌ条約上は、単に「著作物の創設者であることを主張する権利」とだけ規定されている。
ただし、著作物の利用の目的及び態様に照らして、著作者の利益を害する恐れがない場合は、公正な慣行に反しない限り、著作物の利用者は、著作者名の表示を省略することができる(19条3項)。その例として、店内のBGMとして音楽を流す場合(作曲者のアナウンスをする必要はない)などが挙げられている。
[編集] 同一性保持権
[編集] 概要
同一性保持権とは、著作物及びその題号につき意に反して変更、切除その他の改変を禁止することができる権利のことをいう(著作権法20条1項)。著作物が無断で改変される結果、著作者の意に沿わない表現が施されることによる精神的苦痛から救済するため、このような制度が設けられている。
なお、ベルヌ条約上の同一性保持権は、著作者の名誉声望を害するおそれがある改変を禁止する権利になっているのに対し、日本の著作権法では、そのような限定はされておらず、著作者の意に反する改変を禁止する権利になっている。
なお、元の著作物の表現が残存しない程度にまで改変された場合は、もはや別個の著作物であり、同一性保持権の問題は生じないと解される。
[編集] 例外
以下の場合には、同一性保持権の適用が除外され、改変が認められる(著作権法20条2項)。
- 用字の変更など学校教育の目的上やむを得ないと認められる改変
- 建築物の増改築・修繕等に伴う改変
- プログラムの著作物について、特定のコンピュータで利用できるようにしたり、より効果的に利用し得るようにするために必要な改変
- その他の利用の目的及び態様に照らし、やむを得ないと認められる改変
[編集] 翻案権との関係
日本の著作権法は、著作権の改変に関する権利として、著作者の人格的利益を保護するための同一性保持権のほか、著作権者の財産的利益を保護するための翻案権の制度を設けている(著作権法27条)。
翻案権の譲渡がされていない場合は、同一性保持権と翻案権は同一人に帰属するため、翻案権についてライセンス契約があった場合は、ライセンス契約の範囲内で同一性保持権は制約を受けると解される。
これに対し、翻案権が譲渡されている場合は、同一性保持権と翻案権は別人に帰属することになる。そのため、翻案権者と著作物の利用者との間で著作物の翻案に関するライセンス契約が締結され、そのライセンスに従い著作物の改変が行われた場合、著作者は同一性保持権を行使して改変を差し止めることができるのかが問題となる。
この点の問題の解決については色々な見解が唱えられており、翻案譲渡の際に翻案に必然に伴う改変の限度で同一性保持権を行使しない黙示の同意を与えていると構成する見解、翻案に必要な限度での改変は著作権法20条2項4号にいう「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」に該当するとする見解、翻案権と同一性保持権が別人に帰属する場合は著作者の名誉感情にかかわらない改変は同一性保持権を侵害しないと解する見解などがある。
[編集] 自由利用を目的とするライセンスとの関係
GPL、GFDL、Creative Commons Licenseなど、著作物の自由な利用の促進を目的としたライセンスが存在するが、このようなライセンスが同一性保持権との関係で有効なのかが問題とされることがある。
この点、先に例記したライセンスは、同一性保持権を考慮した条項を置いていない。これは、これらのライセンスがアメリカ合衆国で発案されたものであり、後述するように同国の著作権法は伝統的に財産的利益を中心として規定しており、著作者人格権に関する一般的な規定がないことに起因する。
これに対し、日本の著作権法は同一性保持権に関する規定が存在し、放棄できないと解する見解が一般的である(前述したとおり、この認識に対しては疑義を呈する見解もある。)。しかも、ベルヌ条約では名誉声望を害する恐れのある改変からの保護を規定しているのに対し、日本の著作権法では、改変が名誉声望を害するおそれがあることを同一性保持権侵害の要件としておらず、単に改変等が著作者の意に反することを要件としている。このような事情があるため、上記のようなライセンスは、日本の著作権法とは適合しないのではないかという問題がある。
この点、クリエイティブ・コモンズ日本語版のライセンスは、著作者人格権を行使しない旨の条項を設けることにより、問題点を回避している。ただし、前述したとおり、著作者人格権の不行使契約は無効であるとの見解もあり、なお問題を抱えていることは否定できない。
[編集] 名誉声望保持権
著作物の改変を伴わない場合でも、その利用態様によっては表現が著作者の意図と異なる意図を持つものとして受け取られる可能性がある。そのため、著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、著作者の著作者人格権を侵害する行為とみなされる(著作権法113条6項)。例として、美術品としての絵画を風俗店の看板に使用する行為などが該当するとされている。
なお、ベルヌ条約上は、「著作物の創作者であることを主張する権利及び著作物の変更、切除その他の改変又は著作物に対するその他の侵害で自己の名誉又は声望を害するおそれのあるものに対して異議を申し立てる権利」として、同一性保持権と名誉声望保持権が一体となっているが、日本法では改変等を伴わない場合を独立して扱う規定となっている。
[編集] 著作者死亡後の人格的利益の保護
ベルヌ条約上、著作者の死後における著作者人格権の行使に関する規定があるが(ベルヌ条約6条の2第2項)、権利が相続の対象になるか否かについては規定がない。この点、著作者人格権が相続の対象になることを認めることを認める法制もあるが(フランスなど)、日本においては一身専属性のある権利は相続の対象にはならないとされている(民法896条但書)。
ただし、相続の対象にならないとは言っても、ベルヌ条約の要請上、著作者の死後においても故人の著作者としての人格的利益を保護する必要がある。そのため、日本においても、生前の場合と比較して制限があるものの、著作者が存しなくなった場合であっても著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない旨の規定を置くとともに(著作権法60条)、遺族(著作者の配偶者、子、父母、孫、祖父母、兄弟姉妹)又は著作者が遺言で指定した者に対し著作者の死後における人格的利益の保護のための措置をとらせる権利を与えている(116条)。
[編集] アメリカ合衆国における著作者人格権
アメリカ合衆国は1989年にベルヌ条約に加盟しているところ、同条約は著作者人格権の保護を加盟国に要求しているため、当然アメリカでも著作者人格権の保護が要求されることになる。ところが、アメリカ合衆国著作権法は一部の視覚芸術の著作物に関するもの以外には著作者人格権を扱う規定を設けていない。
著作権法上の規定は、106条Aにある。106A(a)(1)では自分の作品について著作者であることを主張する権利、自分が制作していない作品に著作者の名前を使用されない権利をが認められており、これは氏名表示権に相当する。106A(a)(2)では、作品に対する各種の改変や破壊をされない権利が認められており、これは同一性保持権に相当する。但し、これらの規定にはいくつかの限定がついている。対象となる視覚芸術の範囲については、地図、広告、ポスターなどを含め多くの種類の芸術作品は同規定の視覚芸術の定義外となり、対象となる写真・彫刻・版画・絵画などの作品も、200点以上の複製が作成されていないこと、一点一点に著者の署名とシリアルナンバーが付されていることなどが要求されている(101条)。加えて、作品を破壊されない権利は、ある種の達成として認められた作品 (a work of recognized stature) についてだけ適用される (106A(a)(3))。また、この権利は著作者の死亡した年まで保護され、死後の保護は実質的に与えられていない。なお、これらの権利は譲渡はできないが、放棄はできるものとされている (106A(e))。
このように著作権法上、著作者人格権が極めて限定された形でしか認められていない点については、ベルヌ条約で保護が要求される著作者人格権は、不正競争法 (unfair competition law) のような著作権法とは別の法領域によって事実上保護されているものとして特段の規定が置かれていないと説明されている。不正競争法では、一般に商品の出所について虚偽の表示をすることを禁じており、著作物について出所を偽って(他人のものを自分の著作物であるかのように、あるいは第三者の著作物であるかのように)表示した場合に違反となることがある。不正競争法は各州で判例法や成文法の形で存在するほか、州際取引に適用される連邦法としても存在する。連邦法としてはランハム法 (Lanham Act)と呼ばれる合衆国法典第17編第22章がこの出所表示についての規定を含んでいる。これにより、著作者人格権の氏名表示権に相当する権利が保護されることになる。
また、上述の点と一部重複するが、各州の(判例法としての)コモン・ローにより、著作者の著作物に対する一般的な人格権の保護がされていると説明されることもある。このことから、著作者人格権が保護の対象とする利益につき、著作権法の枠で考えるか否かという違いがあるに過ぎず、著作者人格権を正面から認める法制と実質的に差異はないとの考え方も示されている。
しかし、国際的には、アメリカはベルヌ条約に規定する著作者人格権の保護義務を遵守していないと評価されているのが現状である。実際、WTO協定の附属書として1994年に制定されたTRIPs協定9条1項は、協定の加盟国に対してベルヌ条約の遵守を義務づけているが、著作者人格権の保護について規定したベルヌ条約6条の2をわざわざ明文で除外している。このような例外を認めたのは、協定不遵守を理由にWTOによる紛争処理手続が発動されるのを防止するためと説明されており、当然これはアメリカを念頭に置いたものである。
[編集] 関連項目
- 著作権
- 実演家人格権
[編集] 参考文献
(執筆・編集にあたり参照した資料)
アメリカ合衆国における著作者人格権について
- 著作
- 山本隆司『アメリカ著作権法の基礎知識』太田出版<ユニ知的所有権ブックス>、2004年 ISBN 4-87233-831-6
- 法令
- 17 U.S.C. § 101. Cornell Legal Information Institute. (2007年1月23日参照)
- 17 U.S.C. § 106A. Cornell Legal Information Institute. (2007年1月23日参照)
- 山本隆司・増田雅子共訳『外国著作権法令集 和訳版アメリカ編』社団法人著作権情報センター サイト内<外国著作権法令集> (2007年1月23日参照)
- 15 U.S.C. § 1125. Cornell Legal Information Institute. (2007年1月23日参照)