藤原斉信
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藤原 斉信(ふじわら の ただのぶ、康保4年(967年) - 長元8年3月23日(1035年5月3日))は、平安時代中期の公家。太政大臣藤原為光の次男。母は藤原敦敏の女。正二位、権大納言。
政治能力に欠ける父為光や同母兄の誠信とは正反対に、若年時より切れ者の能吏として頭角を現し、蔵人頭や、藤原道長の娘の中宮彰子の中宮大夫を勤める等、道長からの信任も篤かった。長保3年(1001年)には道長の強い薦めを受けて、兄の誠信を差し置いて中納言に就任する(この際、誠信はこれを恨んで憤死したと伝わる)。道長の腹心の一人として一条天皇の治世を支え、藤原公任、藤原行成、源俊賢とともに『一条朝の四納言』と称された。
和歌や漢詩、朗詠、管絃にも通じ、当代随一の文化人としての名声も高かった。清少納言との交流でも知られ、枕草子の中にもたびたび登場し、その艶やかな振る舞いを描写されている。