藤澤英雄
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藤澤 英雄(ふじさわ ひでお、1973年11月30日~ )は、平成期の社会人野球の選手(内野手、右投げ右打ち)である。住友金属鹿島所属。178cm、77kg。背番号8。
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[編集] 人物・来歴
- 大分県出身。大分東高では甲子園に出場することができなかったが、法大に進学し、持ち前の機敏な守備と巧打でレギュラーをつかみ、大学選手権の出場経験がある。
- 大学在籍後の1996年、いすゞ自動車に入社。背番号は3。入社してしばらくしてショートのレギュラーを獲得し、自チームのみならず列強居並ぶ神奈川地区で他チームの補強選手として都市対抗野球大会に出場を続けた。藤澤は入社5年目の2000年シーズンから主将としてチームを引っ張っていたが、2002年、シーズンが始まってすぐにこの年限りでの休部がチームに告げられ、動揺が広がった。しかし、いすゞ最後のシーズンを精一杯プレーしようとする選手たちの力で、いすゞは神奈川第2代表で第73回都市対抗野球大会に出場を決めた。チームは不思議な力に後押しされるように勝ち上がり、決勝では大会初勝利から勢いに乗って勝ち上がってきたホンダ熊本と対戦し、2-0でホンダ熊本を降し、「最初で最後の黒獅子旗」を手にしてチームは休部に入った。
- そのオフ、シダックスに移籍。背番号はいすゞ時代と同じ3。ちょうど阪神の監督を退任して浪人生活を送っていた野村克也が監督兼GMに就任した時期と重なる。藤澤は社会人8年目ながら若手とのポジション競争に勝ち、ショートのレギュラーを射止めた。移籍1年目の2003年に行われた第74回都市対抗野球大会で、マスコミや野球ファンの注目を集めたシダックスは順当に勝ち上がったが、決勝戦で三菱ふそう川崎に敗れ、準決勝に終わった。藤澤は2年連続で都市対抗野球の決勝戦を経験したことになる。
- その後も藤澤はシダックスで不動のショートとしてプレーを続け、野村が東北楽天の監督就任に当たってシダックスを退部し、新たな体制となった2006年シーズンはコーチ兼任としてプレーしたが、皮肉にもシダックス入部4年目にして初めて2大大会への出場を逃してしまう。それに追い討ちをかけるように、シダックスのこの年限りでの廃部が伝えられる。藤澤にとって2度目のチーム消滅だった。
- しかし、シダックスチーム関係者の尽力等もあり、2007年からは住友金属鹿島でプレーすることとなった。背番号は8。住友金属鹿島では選手専任で再び一からレギュラー獲りに挑むこととなる。
[編集] 球歴
大分東高(1989年~1991年)→法大(1992年~1995年在籍後中退)→いすゞ自動車(1996年~2002年)→シダックス(2003年~2006年)→住友金属鹿島(2007年~ )
[編集] 日本代表キャリア
なし
[編集] 主な表彰・タイトル
- 都市対抗野球大会優秀選手 3回(第73回、第74回、第75回 いずれも遊撃手部門)
- 都市対抗野球大会10年連続出場表彰(2006年、NTT東日本の補強選手として出場達成)
- 社会人ベストナイン 1回(2004年・遊撃手部門)