藤田保健衛生大学
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藤田保健衛生大学(ふじたほけんえいせいだいがく、Fujita Health University)は、愛知県豊明市にある私立新設医科大学。学校法人藤田学園。
元々、名古屋保健衛生大学の大学名だったが、名古屋市内にあると誤解されることが多かったため、設立者である藤田学園元総長で元岩手医科大学助教授・元愛知学院大学歯学部教授の藤田啓介(1925年-1995年6月11日、名古屋帝国大学医学部卒)の名前および学園名に因んで命名された。そもそも、一般的に著名ではない人名を冠した大学名は珍しいが、聖マリアンナ医大や一般的にも著名な細菌学者である北里柴三郎の名前を冠した北里大学を除けば、医学部を擁する大学で大学名に人名を冠しているのは保衛大と川崎医大のみである。
1970年代に医学部が設置された新設私立医大であるものの研究レベルは比較的高いようで、2003年に医学系分野で超低侵襲標的化診断治療開発センターとして21世紀COEプログラム研究教育拠点に採択された。拠点リーダーは浅野喜造医学部小児科教授(1944年-、名古屋大学医学部卒)。また2004年には短期大学が文部科学省の「特色ある大学教育支援プログラム」に採択された。
医学部、衛生学部があり、衛生学部には、衛生技術学科、衛生看護学科、診療放射線技術学科、リハビリテーション学科がある。衛生技術短期大学、リハビリテーション専門学校、看護学校も同一キャンパスにもっている。 2008年度より医学部と医療科学部の2学科に改組予定。
医学部の6年間の学費は3千7百万円程度。名古屋大学医学部や慶應義塾大学医学部出身の教授が多いが、1999年以降は自校出身の教授も何人か誕生している。また、助教授以下の研究者としては、かなりの数の自校出身者がいる。毎年10月下旬に学園祭"Fujita Festival"が開催される。
1人の少女が懸命に生きる姿に多くの人々が感動し 書籍、映画、ドラマ化もされた『1リットルの涙』の原作者、木藤亜也さんの主治医、 山本紘子さんはこの大学の助教授を勤めていた。
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[編集] 沿革
- 1964年9月 藤田啓介が学校法人藤田学園設立
- 1968年5月 名古屋保健衛生大学衛生学部設置
- 1972年4月 名古屋保健衛生大学医学部及び総合医科学研究所設置
- 1984年6月 藤田学園保健衛生大学に改称
- 1991年4月 藤田保健衛生大学に改称
[編集] 学部等
- 医学部
- 医学科
- 衛生学部(2008年度に医療科学部に改組予定)
- 衛生技術学科
- 衛生看護学科
- 診療放射線技術学科
- リハビリテーション学科
- 理学療法専攻
- 作業療法専攻
- 短期大学(2008年度に医療科学部に改組予定)
- 衛生技術科
- 医療情報技術科
- 専攻科・臨床工学技術専攻
- 看護専門学校(2008年度に医療科学部に改組予定)
- リハビリテーション専門学校
[編集] 大学院
- 医学研究科
- 形態系専攻
- 機能系専攻
- 分子医学系専攻
- 保健衛生系専攻
- 内科系専攻
- 外科系専攻
- 保健学研究科
- 臨床検査学領域
- 看護学領域
- 医用放射線科学領域
[編集] 研究・教育施設
- 総合医科学研究所
- 藤田記念七栗研究所
- 疾患モデル教育研究センター
- 環境検査センター
- 共同利用研究施設
[編集] 附属病院(教育病院)
[編集] グループ関連会社等
- 藤信興産株式会社(青山高原カントリークラブ及び藤田学園スーパーマーケットの運営)
- 藤田薬品株式会社
- ユリカ株式会社(健康食品の製造販売)
- 財団法人新居浜精神衛生研究所
[編集] 大学関係者と組織
[編集] 大学関係者一覧
[編集] 利用可能なバス路線
- 名鉄バス・「藤田保健衛生大学病院」バス停
- 藤田保健衛生大学病院~豊明団地~前後
- 名古屋市営バス・「藤田保健衛生大学病院」バス停 かつては名古屋市境の「諸ノ木」バス停で病院の連絡マイクロバスでの乗り換えであったが、2003年に直接病院へ乗り入れるようになって利便性が向上した。
- 原13 藤田保健衛生大学病院~地下鉄原・緑車庫
- 野並14 藤田保健衛生大学病院~野並~野並住宅
- 大高11 藤田保健衛生大学病院~緑区役所~大高駅前~藤田保健衛生大学病院
- 豊明市コミュニティバス ひまわりバス・「藤田保健衛生大学病院」バス停(名鉄バスの委託運行)