藤田豊八
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藤田豊八 (ふじた とよはち、1869年 - 1929年)は明治・大正期の東洋史学者。文学博士。号を剣峰。
徳島県美馬郡郡里村(現・美馬市)に生まれる。徳島中学校、第三高等学校を経て東京帝国大学文科大学漢文科卒業。東京帝国大学卒業後、早稲田大学や東洋大学において中国文学史を講じるかたわら、1896年小柳司気太・田岡嶺雲らと東亜学院を創立し、「江湖文学」を創刊した。中国に渡り、1898年上海では、東文学社を設立、1909年広州では教育事業に協力、1905年蘇州では師範学堂を設立、1908年北京大学の教習として招聘されるなど中国の教育水準の向上に尽力した。帰国後は1923年早稲田大学教授、1926年東京帝国大学教授、1928年台北帝国大学教授を歴任した。著書に「中等教育東洋史」、「東西交渉史の研究」などがある。1929年没。没後、所蔵の漢籍1700余部は東洋文庫に寄贈され、藤田文庫として貴重な資料となっている。