蟠竜丸
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蟠竜丸(ばんりゅうまる)は、幕末期、江戸幕府が所有していた軍艦の一つ。元はビクトリア女王から贈呈されたイギリスの王室用武装ヨット。日本海軍初期の軍艦。木造蒸気船。帆柱2本のいわゆるスクーナー。長さ23間(約41.8m)、幅3間(約5.45m)、深さ1丈7尺(約3.23m)、排水量370トン。箱館政権(蝦夷共和国)の旧幕府軍艦の中では、開陽丸に次ぐ軍艦とされる。蟠龍。蟠竜艦。後、雷竜。
慶応4年(1868年)4月11日の江戸城無血開城にあたって新政府軍への譲渡が約束されていたが、当時の海軍副総裁榎本武揚が天候不良などを理由にこれを延期し、最終的には拒否。同年8月19日には松岡磐吉を艦長として開陽丸・美賀保丸・神速丸などと共に品川沖を脱出、蝦夷地に渡り、箱館戦争において旧幕府軍の主力艦となった。明治2年(1869年)3月25日の宮古湾海戦では、暴風雨に遭い味方艦とはぐれたため参戦には至らなかったが、箱館湾海戦では弁天台場や回天丸に援護されながら、ほぼ一艦で新政府軍艦隊に応戦した。同年5月11日の箱館総攻撃の際には新政府軍艦朝陽丸の火薬庫に砲撃を命中させ、朝陽丸は大爆発を起こして轟沈。旧幕府軍の士気を一気に向上させた。しかし間もなく新政府軍の集中砲火をあび、蟠竜丸は弁天台場まで退いたが、浅瀬に乗り上げてしまったため、艦長松岡磐吉はじめ乗組員は船体へ放火後七重浜へ上陸、本陣五稜郭への撤退を余儀なくされた。
その後外国人により船体が引き揚げられ、上海で修理される。1873年に北海道開拓使が購入。「雷竜」と名を改め、後に日本海軍の軍艦となる。1888年に廃艦となり、高知県に無償で払い下げされて捕鯨船となる。1897年、大阪の造船所で解体された。