角屋
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[編集] 概要
寛永18年(1641年)に創業された。揚屋としては明治5年(1872年)まで営業。 その後はお茶屋に編入され、昭和60年(1985年)まで「松の間」を宴会に使用。 現存する唯一の揚屋の遺構として昭和27年(1952年)国の重要文化財に指定され (ただし「松の間」のみは大正末期、火事により焼失してしまい指定されていない)、 平成10年(1998年)より「角屋もてなしの文化美術館」として公開されている。
江戸時代中期には島原でも俳諧が盛んになり当時の角屋当主は与謝蕪村を師として招いている。その蕪村がここに残した「紅白梅図」は国の重要文化財として当美術館に展示されている。
幕末には久坂玄瑞、西郷隆盛などの勤王の志士が密議を交わしたり、豪商からの資金調達のために接待に使用されていた。
また、新選組もここでの遊興を楽しんだ。特に芹沢鴨との関わり合いは深く、文久3年(1863年)6月ここで暴挙をはたらき、その際に出来た刀傷が今でも残っている。また、芹沢が殺害される直前にここで酒宴を開いている。
中には名物の「臥龍松」という枝の長い松が生えていたが枯れてしまい、現在は2代目にあたる。
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