豊臣秀勝
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1.豊臣 秀勝(とよとみ ひでかつ/とよとみ の ひでかつ、永禄12年(1569年) - 文禄元年9月9日(1592年10月14日))は安土桃山時代の武将。豊臣秀吉の甥(姉日秀の子、豊臣秀次の弟)で幼名は小吉。
秀吉の九州征伐や小田原征伐に従軍し軍功をあげる。文禄の役には大将として出陣するが、巨済島にて病没する。
妻は織田信長の姪で淀殿の妹であるお江与の方。お江与は秀勝の死後徳川秀忠と再婚したため、二人の間に生まれていた娘・完子は淀殿に養育され、後に公家の九条幸家に嫁いだ。
2.羽柴 秀勝(豊臣 秀勝)(はしば ひでかつ、元亀元年(1570年) - 天正4年10月14日(1576年11月4日))は、豊臣秀吉が長浜城主時代に側室・南殿との間に設けた長男で、幼名は石松丸。法名は本光院朝覚居士。その存在を疑問視する声も多いが、滋賀県長浜市の妙法寺に天正4年10月の銘文がある秀勝のものと思われる供養塔が残っている。
幼くして没したため、秀吉は彼を偲ぶためか、彼の名・秀勝を養子の内の何人かに名乗らせている。本項1.の豊臣秀勝もその一人である。