辻維岳
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辻 維岳(つじ いがく、男性、文政6年(1823年) - 明治27年(1894年))は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した武士・官僚。広島県出身。広島藩士。男爵。辻将曹( - しょうそう)の名でも知られる。
[編集] 略歴
ペリー来航以後、広島藩内の改革派として台頭し、1858年(安政5年)藩主に襲封した浅野長訓により野村帯刀らとともに年寄に任命された。これ以後、殖産興業政策・軍備近代化・財政改善などの藩政改革を推進した。
二次にわたる長州戦争においては幕府側と長州藩との和平交渉を周旋し、第二次戦争で幕府側代表として厳島で辻と会見した勝海舟は彼の人物を高く評価している。
1867年(慶応3年)になり在京の薩摩・長州両藩士の間で倒幕の気運が高まると、同じく京に滞在していた辻もこれに同調し、同年9月には薩長芸倒幕三藩同盟を成立させた。しかし彼は一方で土佐藩の後藤象二郎が進める大政奉還構想にも同調しており、10月には土佐藩に続く大政奉還建白書を藩主長訓の名で幕府に提出している。このような辻、ひいては広島藩の日和見的な態度は薩長両藩の不信感を煽ることになった。
大政奉還後には小御所会議に臨席し、薩摩藩と土佐藩の意見が衝突した際、後藤らをなだめて倒幕の方向で会議をまとめた。
維新後は大津県知事、元老院議官、内国事務局判事などの要職を歴任した。1890年(明治23年)には男爵に叙された。
現在辻家は維丈が家督を相続し、長男 維周(まさちか)・次男 維陽(まさはる)がいる。
[編集] 関連項目
[編集] 関連書籍
- 有元正雄ほか 『広島県の百年』 山川出版社、1983年 ISBN 4634273403
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