厳島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
厳島(いつくしま)は瀬戸内海広島湾南西部の島。通称は宮島。広島県廿日市市に属する。2005 年の合併までは、島全体が佐伯郡宮島町と一致していた。日本三景のひとつ、いわゆる「安芸の宮島」であり、大鳥居と海上に浮かぶ社殿で有名な厳島神社は世界遺産にも選ばれた。「厳島」としては、1952年(昭和27年)に国の文化財として特別史跡及び特別名勝に指定された。弥山の原始林は国の天然記念物にもなっている。また、1934年(昭和9年)より周辺海域(瀬戸内海)を含め島嶼全域が瀬戸内海国立公園に編入され、自然公園法が定める特別保護区域となっている。
目次 |
[編集] 歴史
厳島神社は、推古元年(593年)厳島に住む豪族佐伯鞍職により創建されたと伝えられるが、現在の威容を構築したのは、平氏一門の後ろ盾を得た平安時代末期である。
戦国時代末期、毛利元就が陶晴賢を打ち破り、中国地方の覇者となる一歩を踏み出した厳島の戦いの舞台。元就は、神の島を戦場にしたことを恥じ、その後はこの島の自然の保護者となった。
[編集] 自然
秋はモミジの紅葉が美しい。ロープウェイで紅葉谷を見下ろしながら標高535mの弥山(みせん)の頂上まで上ることもできる。厳島は神の島として木材の伐採が禁じられていたため、ほぼ自然状態の森林で覆われている。植生はアカマツが主体である。ただし,モミのようにこのあたりには通常生育していない木も生えており、この点謎とされている。(補足.このあたりという表現は適切でない.モミは一般に中間温帯を構成する樹種であり,広島県に分布する.一般に,低海抜地域には見られないというのが正確.)
島には多くのシカやサルがいる。サルについては江戸時代までの記録がない。どうやら近代に入って小豆島のニホンザルを人為的に移入したものらしい(確実に移入したものである)。これに対し、シカには近代以前からの記録が残っており、厳島神社の神使とされている。
干潮の砂浜には多くのヤドカリが見られる。
近年、厳島神社の社殿・大鳥居付近で海藻であるアオサが繁茂している。景観を損ない、また腐って悪臭を放つので、宮島観光協会と宮島町役場、地元自治会がボランティア活動を主催し、年数回清掃活動を行っている。繁茂の原因は明らかではないが、水質の悪化と水温の上昇にあるのではないかといわれている。(補足.広島湾は高度成長期に比べれば,水質はむしろ大幅に改善している.きれいになりすぎたことで,カキの養殖などに影響が出ている.宮島の他の地域ではアオサがとくに増えている徴候は観察されず,むしろ減少している場所もある.このためアオサについては,周縁海域の埋め立てによる海流の変化がかなり影響していると考えられる.)
また、シカが大繁殖(適正生息頭数は100頭とされる(そのような科学的なデータはない.また,最盛期には1600頭程度との記録あり.)が、現在島内には600頭が居るものと推測される)し、エサが不足して観光客の弁当や食料品、挙げ句の果ては観光パンフレットや、(土産物屋などで出す際の)紙幣や紙袋など、紙類を狙って食べるなどの被害があり、注意を要する。(とくに増えたという事実はないとのこと。繁殖よりも,むしろ餌をやるなどの影響で,局所的に過剰な個体数が集まることの影響と考えられる.野生動物に餌をやらないという当たり前のマナーを守ることで改善されると考えられる.)観光協会がシカの角を切っているが,山に入ると角のあるシカに出会うこともある.
[編集] 弥山の標高
厳島の最高峰「弥山(みせん)」の標高値は,国土地理院の1/2.5万の地形図を見ると520.8 mと表記されてきた.これは明治25年設置の二等三角点の高さであるが,三角点より南南西方向約16.8mの地点が535 mであることが確認された.(国土地理院,平成17年10月6日14:00発表)
[編集] 文化・施設・観光
観光地として有名だが、島内には民家も存在し、小学校と中学校もある。また島内には信号が1箇所も無い。
毎年8月14日には宮島水中花火大会が行われ、県内外から多くの見物客が訪れる。
島内には厳島神社以外にも大聖院をはじめ多くの仏閣がある。また、厳島神社宝物館、宮島水族館、宮島歴史民俗資料館、広島大学大学院理学研究科附属自然植物実験所、宮島町伝統産業会館などの文化施設がある。
宮島に関する情報が掲載され、宮島検定試験の公式参考書も兼ねる「宮島本」が廿日市商工会議所より発売されている。
廿日市商工会議所により、2007年1月に、初の「宮島検定」が行われる。検定では、宮島の歴史や文化、自然に関する知識を答う問題が出題される。合格者には認定カードが発行される。
[編集] アクセス
[編集] 鉄道
広島電鉄宮島線の終点広電宮島口駅かJR山陽本線の宮島口駅で降り、すぐそばにある宮島口からJR宮島航路または宮島松大汽船の宮島港行きに乗船する。
[編集] 車
車の場合、広島市街地からは西広島バイパスから、山陽自動車道からは廿日市ICから国道2号を走り、宮島口駅周辺の有料駐車場に停車し、宮島連絡船・宮島松大汽船を利用するのが一般的である。
[編集] 船
広島電鉄宮島線の終点広電宮島口駅かJR山陽本線の宮島口駅からすぐにある宮島口港からJR宮島航路または宮島松大汽船の宮島港行きフェリーに乗船する。10-15分で宮島に到着する。JR宮島航路は、宮島港に向かう際、厳島神社に近いコースをとり、満潮時には大鳥居に接近する。
なお、島内に車を乗り入れることは可能であるが、フェリー代が高く、宮島島内の道路は大変狭隘で、観光客や鹿が多く運転には相当なストレスがかかる。また最大の観光地である厳島神社へは港より徒歩圏内であり、更に宿泊客に対しては各宿泊施設が送迎サービスを行っているため、車の必要性が高くない。このため本州から車を乗り入れる観光客はまれである。
また、日曜・祝日、とくに初詣客の押し寄せる正月三が日、ゴールデンウィーク、管弦祭(旧暦6月17日)、宮島水中花火大会の開かれる8月14日、紅葉の最盛期(11月中~下旬)などの観光シーズンは、宮島口周辺は混雑することが多い。宮島口駅周辺の駐車場の収容力をはるかに上回る観光客が殺到するため、付近の国道2号は動かないほどの大渋滞となる(最もひどい時は西広島バイパスから車の列ができる)。このため、この時期に宮島へ車で行く場合、広島市内や廿日市市内からのパークアンドライドを行うなど、それなりの対策が必要となる。また、それ以外のシーズンの土日においても、駐車待ちの列に並ぶ覚悟は必要である。公共交通機関の利用をおすすめする。
[編集] 唱歌
1900年(明治33年)に大和田建樹によって作詞された『鉄道唱歌』第2集山陽九州編では、大和田が歴史的意義のある地において多く歌詞を割く傾向があったことから、厳島も4番にわたって歌われた。
- 19. 己斐(こい)の松原五日市 いつしか過ぎて厳島 鳥居を前にながめやる 宮島駅につきにけり
- 20. 汽笛ならして客を待つ 汽船に乗れば十五分 早くもここぞ市杵島(いちきしま) 姫のまします宮どころ
- 21. 海にいでたる廻廊の 板を浮かべてさす汐に うつる燈籠(とうろ)の火の影は 星か蛍か漁火(いさりび)か
- 22. 毛利元就この島に 城をかまえて君の敵(あだ) 陶晴賢(すえかるかた)を誅せしは のこす武臣の鑑(かがみ)なり
なお19番の宮島駅は、現在の宮島口駅を指す。
[編集] 関連項目
日本三景 | |
---|---|
日本三景 | 丹後の天橋立 – 陸奥の松島 – 安芸の宮島 |
新日本三景 | 大沼 – 三保の松原 – 耶馬渓 |
その他 | 林春斎 |