近鉄西信貴鋼索線
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西信貴鋼索線(にししぎこうさくせん)は、大阪府八尾市の信貴山口駅から高安山駅までを結ぶ近畿日本鉄道の鋼索鉄道(ケーブルカー)線。西信貴ケーブルとも呼ばれる。
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[編集] 路線データ
全線、大阪輸送統括部(旧上本町営業局)の管轄である。
[編集] 概要
信貴山朝護孫子寺への西側のルートの一部。かつては、東信貴鋼索線が東側にあり、信貴山と信貴山下駅を結んでいたが、廃止されて奈良交通バスに代替された。
信貴山朝護孫子寺へは、山上の高安山駅からさらに近鉄バスに乗り継ぐが、1944年の一時廃止前まで「山上鉄道線」(信貴山急行電鉄)として平坦線用の電車が走っていた。山上線の跡地は道路に転用されてバスが運行され、現在は信貴生駒スカイラインの一部を構成している。
この路線には2箇所の踏切がある。一般人が横断できる踏切を持つケーブルカーは全国的にも当路線と近鉄生駒鋼索線の2路線だけである。
なお、乗車券の磁気化は行われておらず、自動改札機も無い。以前は自動券売機でパールカードが使えたが現在は使えない。スルッとKANSAIやPiTaPaの導入予定も無い。
[編集] 車両
コ7形2両が在籍、「ずいうん」「しょううん」という愛称がついている。展望のため天井の下半分が透明になっており、車体には信貴山の守り神である虎の絵が描かれている。1957年の再開時に日立製作所で製造された。なお、コ7形にはコニ7形と称する1トン積の貨車が山上側に連結可能になっている。コニ7形は生駒鋼索線の車両で使われている荷台と異なり、車籍も持っていて、れっきとした車両として扱われている。
[編集] 運行形態
約30分毎の運行で、所要時間は7分。
[編集] 歴史
- 1930年(昭和5年)12月15日 信貴山電鉄が鋼索線 信貴山口~高安山間、山上鉄道線 高安山~信貴山門間を開業。
- 1931年(昭和6年)11月2日 信貴山電鉄が信貴山急行電鉄に社名変更。
- 1944年(昭和19年)1月7日 鋼索線・山上鉄道線が不要不急線として休止。資材を供出。
- 1944年(昭和19年)4月1日 近鉄の前身である関西急行鉄道が信貴山急行電鉄を合併。
- 1957年(昭和32年)3月21日 西信貴鋼索線として運行再開。山上鉄道線は廃止(バス代替)。
[編集] 駅一覧
[編集] 接続路線
- 信貴山口駅:近鉄信貴線