部分軌道爆撃システム
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部分軌道爆撃システム(英:Fractional Orbital Bombardment System、FOBS)は、1960年代に旧ソ連で研究・開発された核攻撃手段につけられた英語名称である。
[編集] 概要
1960年代までに米ソは互いを目標とするICBMを地上配備したが、それらは米ソ間の最短距離である北極上空を弾道飛行するため飛行経路と着弾位置の予測が可能で、アメリカはアラスカやカナダにBMEWSをはじめとする早期警戒レーダー網を築き、北米防空総省(NORAD)の指揮の元、旧ソ連のミサイル攻撃を常時監視していた。当時のソ連当局者にもこの事は理解されており、これらのレーダー網を避けるために、弾頭を衛星軌道まで打ち上げ、軌道上を飛行して地球を大きく迂回し、適当な位置で減速して落下させることで、北米大陸の北側以外の方向、例えばNORADの防空網が展開する北側とは反対側である南側から核攻撃を加える手段を研究したのである。
[編集] 開発
1950年代の終わりには、この方式の研究が検討され始めている。「グローバル・ロケット」と呼ばれた計画では三つの提案が検討されており、そのうちの一つがOKB-1(S.P.コロリョフ設計局)によるもので、有人月旅行計画用に設計されたN1ロケットを改造するものである。二つ目の提案はOKB-52(V.N.チェロメイ設計局)によるもので、UR-200 ICBM(SS-X-10 Scrag)、またはUR-500 ICBMを改造するものであった。三番目の提案がOKB-586(M.K.ヤンゲル設計局)によるもので、R-36(SS-9)を改造してR-36-Oとするものである。結局、ソ連戦略ロケット軍(RVSN)はヤンゲル設計局の提案を採用し、1962年4月16日に承認された。開発中のテスト発射で軌道に乗った軌道ペイロードは、単にコスモス-XXX衛星(XXXは三桁の番号)とだけ呼称された。その後、1968年11月19日には運用が開始され、バイコヌールに三つのミサイル旅団が編成されて合計18基のミサイルが配備されたが、SALT-IIでFOBSが禁止された結果、1983年までに全てのミサイルが退役した。
[編集] 運用
弾頭が終始弾道飛行する弾道ミサイルとは異なり、この方式では弾頭を衛星軌道まで打ち上げる必要がある。このため使用されるロケットは大型の物が必要とされた。R-36-Oは、元となったR-36と同様に貯蔵可能な液体燃料を用いた二段式のロケットで、核弾頭の代わりに軌道ペイロードと呼ばれた逆噴射と軌道修正のための液体燃料エンジンを持つ三段目を搭載していた。軌道ペイロードは第一段・第二段によって高度150kmの低軌道(LEO)へ投入され、二段目と分離した後は軌道上を飛行し、地球を周回する前に逆噴射により減速、弾頭を分離して目標へ投射、以後、弾頭は目標へ向けて弾道飛行に入る仕組みだった。地球を周回させないのは、核兵器の宇宙空間への持ちこみを禁じた1967年の宇宙条約に抵触しないようにするためである。
FOBSは地上配備のレーダー網をかいくぐる事は可能だったが、軌道上の赤外線早期警戒衛星からは隠れることができず、アメリカはR-36-Oの発射を早期に知る事ができた。この方式は弾頭重量に制限があり、また逆噴射タイミングを計る事が難しいためCEPが大きくなる事は避けられない。
弾頭の飛行経路の一部が衛星軌道であり、弾頭が衛星軌道を周回すること無く軌道上から落下してくるため、「部分軌道」「爆撃システム」と呼ばれる。これはCIAの報告書に登場する用語である。