長澤和明
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長澤 和明(ながさわ かずあき、1958年2月4日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身のサッカー選手・指導者。日本代表経験を持ち、現Jリーグ・ジュビロ磐田の初代監督も務めた。長女は女優の長澤まさみ。
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[編集] 経歴
東京農業大学サッカー部を卒業後、現役時代は日本サッカーリーグ・ヤマハ発動機サッカー部のMFとして活躍したが怪我に泣かされ30歳で引退。引退後はヤマハのコーチを務めた後、1991年に監督に就任。在任中にチームが「ジュビロ磐田」に改称したため、長澤はヤマハ最後の監督と同時にジュビロ最初の監督となった。在任中、1992年の旧J1優勝、1993年のJリーグ昇格などの実績を残して、93年限りでフロント入りしたがほどなく退社。
その後、1995年から1996年までL・リーグの鈴与清水で、1997年には(旧)JFLの本田技研工業サッカー部(ホンダFC)で、1999年から2001年シーズン途中までソニー仙台サッカー部でそれぞれ監督を務めた。
2001年秋から静岡県の常葉学園橘高校サッカー部で監督を務めている。2005年常葉学園橘高校サッカー部は、静岡県大会で優勝し全国大会に進出した。
[編集] トピックス
普段は温和な性格だが、サッカーに対しては情熱的で、指導も大変厳しく、試合中は非常に熱くなる。そのため退席処分となることもしばしばであった。
ホンダの監督時代には、退席した後にスタンドからトランシーバーを使ってベンチに指示を出したが、審判に見つかり注意されたことがある(彼以外にもこういうことをする監督は少なくない)。他にも、ベンチ入り停止の試合でベンチ後方から大声で指示を出して、それを聞いたコーチが同じ指示を出したことがあったが、同じ指示が2回続けて聞こえてくるため疑問を感じた審判がベンチ周辺を見たところ、長澤がスタンドから指示を出していたため、試合を中断させたこともある。
それでも最近は、自分の子供達と同年代の生徒達の指導をしていることからか、かつてに比べればかなり温和に、楽しく練習させていく傾向が強くなっている。
なお、近年は学生の指導に専念しており表舞台に立つ機会が減少している、及びまさみが芸能界でブレイクしたことから、「ジュビロの初代監督」よりも「長澤まさみの父親」という印象が強い。
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- ワールドカップメキシコ大会予選
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 9試合 0得点(1978-1985)
- 国際Cマッチ 8試合 0得点(1978-1985)
年度 | 国際Aマッチ | 国際Bマッチ | 国際Cマッチ | |||
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出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
1978年 | 6 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 |
1979年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1980年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1981年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1982年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1983年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1984年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1985年 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
通算 | 9 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 |
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