東京農業大学
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東京農業大学
大学設置 | 1925年 |
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創立 | 1891年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人東京農業大学 |
本部所在地 | 東京都世田谷区桜丘1-1-1 |
キャンパス | 世田谷(東京都世田谷区) 厚木(神奈川県厚木市) オホーツク(北海道網走市) |
学部 | 農学部 応用生物科学部 地域環境科学部 国際食料情報学部 生物産業学部 短期大学部 |
研究科 | 農学研究科 生物産業研究科 |
ウェブサイト | 東京農業大学公式サイト |
東京農業大学(とうきょうのうぎょうだいがく、英称:Tokyo University of Agriculture)は、東京都世田谷区桜丘1-1-1に本部を置く日本の私立大学である。1925年に設置された。大学の略称は東京農大(第二次世界大戦終結直後までは農大)が正式だが、関係者や地元を中心に旧略称の農大が使われることのほうが多い(例:世田谷キャンパス前のバス停「農大前」、ウェブサイトのドメイン「nodai.ac.jp」、経堂駅から大学まで続く「農大通り」など)。なお、東農大はマスメディアなどが便宜上使用する通称である。
目次 |
[編集] 概観
[編集] 大学全体
日本で初めて設立された私立の農学校(国公立を含めると、札幌農学校、駒場農学校に次ぐ3番目の歴史がある。)であり、2007年現在、農学を専門に扱う日本で唯一の大学である。東京農工大学、日本各地にある農業大学校とは名称が類似しているが特に関係はない。
[編集] 建学の精神(校訓・理念・学是)
東京農業大学の前身である東京農学校の初代学長横井時敬は、「学問のための学問を排した『実学主義』」を提唱した。このことから現在でも東京農業大学では「人物を畑に還す」(昨今の国際化社会に伴い、「人物を世界の畑に還す」とする場合もある。)と「農業後継者や地域社会の担い手の育成」を最大目標としている。
[編集] 教育および研究
日本で唯一の醸造学科がある。また、図書館は農学書籍や標本類を数多く収集することを目標としており、農業関係者および農学者の間では標本数や貴重な文献が揃っていることで評価が高い。2004年6月、マウスの卵子だけを操作してマウスの子どもを誕生させることに成功した。
[編集] 学風および特色
世田谷キャンパス地元のコミュニティ放送局、エフエム世田谷で東京農業大学の広報番組「東京農大インフォメーション」が放送されている。大学全般の情報をはじめ、大学での研究成果などについても短い時間ながら放送を通じて広報されている。
[編集] 沿革
[編集] 略歴
明治時代、北海道開拓に携わった榎本武揚は「日本の力を高めるためには、国内農業の発展が不可欠」「日本の農業発展のためには、農民の教育が必須」と考えて、1891年に徳川育英会育英黌に農業科を設立した。設立地である東京地下鉄飯田橋駅A4番出口前に「東京農業大学開校の地」という碑が存在している。
1893年には徳川育英会育英黌から農業科が独立、東京農学校となる。その後、大日本農会付属東京高等農学校と改称、専門学校令による東京農業大学への改組を経て、1925年には大学令による東京農業大学となる。
第二次世界大戦の際、渋谷常磐松の校舎(現在の青山学院中等部のある場所)が空襲により焼失したため、1946年、用賀農場にほど近い大日本帝国陸軍機甲整備学校があった場所に移転する。現在の世田谷キャンパスである。
1949年には新制の東京農業大学となる。
[編集] 年表
- 1891年3月6日 榎本武揚が、徳川育英会育英黌農業科を東京市麹町区(現・千代田区)飯田町河岸に創設する。同時に、管理長に榎本が、黌長に永持明徳が就任する。
- 1892年10月23日 農地を確保するため、1.28ヘクタールの農地を有する小石川区(現・文京区)大塚窪町に移転する。
- 1892年 徳川育英会育英黌分黌農業科と改称する。
- 1893年5月11日 徳川育英黌より独立、私立東京農学校と改称する。
- 1893年 第1回卒業式挙行。全教職員と学生で構成する団体である農友会が誕生する。
- 1897年 経営難に陥ったことから大日本農會に経営を移管し、大日本農會附属私立東京農学校と改称する。教頭に横井時敬が就任する。
- 1898年10月13日 豊多摩郡渋谷村常磐松御料地(現・渋谷区渋谷4丁目)に移転する。
- 1901年7月15日 大日本農會付属東京高等農学校と改称。
- 1903年8月21日 学校が、専門学校令による認可を受ける。
- 1905年2月21日 農商務省 から「耕地整理講習部」設置委託の依命を受ける。
- 1907年 学祭「収穫祭」の前身となる「第1回運動会」を開催する。大学生協の前身、消費組合設立。校長に横井時敬が就任する。
- 1911年11月16日 私立東京農業大学(本科大学部・予科大学部・高等科を設置)と改称、初代学長に横井時敬が就任する。
- 1913年 大学構内に東京農業大学肥料分析講習部(後に農芸化学講習部と改称)を設置。
- 1916年 用賀農場を設置する。
- 1923年 応援歌「青山ほとり」が誕生する。
- 1924年9月21日 大学構内に東京高等造園学校を設立する。
- 1925年5月18日 財団法人東京農業大学が設立され、大学令 による東京農業大学(農業部農学科・予科を設置)を設立する。同時に、1911年に改称され設置された私立東京農業大学は専門学校令による東京農業大学専門部(農学科・農芸化学科を設置)となる。
- 1927年 尾上柴舟作詞・山田耕作作曲による学歌を制定する。
- 1937年12月27日 専門部に農業拓殖科(後に開拓科と改称)を設置。
- 1938年12月16日 農業部に農業経済学科を設置。
- 1940年4月1日 専門部に農業工学科(後に、農業土木科と改称)を設置。
- 1941年 専門部に農村経済学科を設置。
- 1941年4月1日 満州国委託農業土木技術員講習部設置。
- 1942年4月1日 大学構内にあった東京高等造園学校を専門部に併合、専門部に造園科(後に緑地土木科、緑地科と改称)を設置。
- 1945年4月1日 農学部に農芸化学科と農業土木科を設置。
- 1945年5月25日 第二次世界大戦の空襲にあい、校舎の大部分を焼失する。
- 1945年8月15日 第二次世界大戦終戦とともに樺太農場、満州農場を失う。
- 1946年3月29日 前年の校舎焼失に伴い、常磐松キャンパスを青山学院に売却し、世田谷にあった大日本帝国陸軍 機甲整備学校跡地(現・世田谷キャンパス)に移転する。千葉農学部設置。
- 1946年3月31日 千葉県茂原市に、千葉農学部茂原分校を設置する。
- 1947年3月31日 専門部開拓科を廃止する。
- 1947年4月1日 千葉農学部に専門部林業科と専門部畜産科を設置する。
- 1947年 有用植物園を設置する。
- 1949年2月21日 新制大学となり農学部に農学科・林学科・畜産学科・農業化学科・農業工学科・農業経済学科・緑地学科・協同組合学科を設置する。
- 1950年3月14日 短期大学部を併設、農業科・醸造科を設置する。
- 1950年4月1日 農業化学科を農芸化学科と改称。
- 1952年 戦後最初の収穫祭(学園祭)開催。その宣伝として大根踊り誕生。
- 1953年1月31日 農学部に醸造学科を設置。
- 1953年3月31日 大学院農学研究科修士課程農学専攻、農業経済学専攻を設置。
- 1960年 厚木中央農場(現・厚木キャンパス)を設置する。
- 1965年5月22日 死のシゴキ事件 ワンダーフォーゲル部の部員が、合宿の山行途中で、上級生らに生木で殴られるなどのリンチにあい入院先の病院で死亡。同じく1年生部員が全身打撲傷や右手首骨折で2カ月の重傷で入院。
- 1966年 アメリカ合衆国ミシガン州立大学と初の姉妹連携校になる。
- 1978年 文部省から、発展途上国との学術交流事業の農学分野拠点大学に選ばれる。
- 1989年 北海道網走市にオホーツクキャンパスを開設。生物産業学部を設置する。
- 1991年 創立100周年記念式典に天皇皇后が出席する。
- 1998年 農学部を改組し応用生物科学部・地域環境科学部・国際食料情報学部を設置する。厚木農場を厚木キャンパスとする。
- 2004年 食と農の博物館開設
- 2005年 生物企業情報学科を国際バイオビジネス学科に名称変更。夜間コースを廃止。
- 2006年 農学部にバイオセラピー学科、生物産業学部にアクアバイオ学科を新設
[編集] 基礎データ
[編集] 所在地
[編集] 象徴
[編集] スクールカラー
東京農業大学のスクールカラーは松葉緑(まつばみどり)である。これは東京農業大学が渋谷にキャンパスを構えていた時代にその地に存在した老松(常盤松)の緑に由来する。
[編集] 校章
1893年に東京農学校と改称した当時の校章は稲穂の向かい合った円の中心に「農」の一文字を入れたものであったが、その後、1911年に東京農業大学と改称した際、大学部本科の角帽に「農大」の校章を入れ、以降はこれを校章としている。
[編集] 校歌・応援歌
- 東京農業大学学歌
- 応援歌
- 北村小松作詞・堀内敬三作曲(1931年)
- カレッジソング
- 第二応援歌緑の精鋭
- 岩堀紀男作詞作曲・渡辺浦人作曲
- 相撲エール
- 団結節
- 東京農大音頭
[編集] 青山ほとり
「大根踊り」として知られる青山ほとり(あおやまほとり)という応援歌は、箱根駅伝実況中継ではよく登場する。青山ほとりは、1923年、当時東京農業大学高等科3年の市山正輝が作詞・作曲した応援歌である。東京農業大学が渋谷区常磐松(現在の青山六丁目)にキャンパスを構えていた時代のことや、農業への誇りが歌詞に表現されている。両手に二本ずつ葉のついたままの青首大根(葉のない大根では決して踊ってはいけない。)を持ち、この歌を熱唱しながら踊る応援スタイルは有名だった。かつては東京農業大学に入学した学生は、学歌と共に覚えさせられていた。系列の高等学校でも、応援の際などに歌い踊られる。箱根駅伝等の応援時以外でも、在学生の飲み会に始まり、卒業生の結婚式や葬式などの場面でも歌い踊られることも多く、常磐松時代の風景や農大健児の意気を謳った1番、農大生あるいは農業従事者との結婚を勧める4番が主に踊られている。
[編集] 教育および研究
[編集] 組織
[編集] 学部
1998年から従来の農学部10学科体制を改組し、各学科をそれぞれ応用生物科学部・地域環境科学部・国際食料情報学部と振り分けした。
- 農学科
- 農業生産科学分野
- 園芸科学分野
- 畜産学科
- 生命科学分野分野
- 生産科学分野分野
- バイオセラピー学科
- 植物共生分野
- 動物共生分野
- 生物介在療法分野
- バイオサイエンス学科
- 微生物分野
- 植物分野
- 動物分野
- 生体機能分子分野
- 生物応用化学科
- 生物生産・環境化学分野
- 生物機能・制御化学分野
- 食品機能・理化学分野
- 醸造科学科
- 醸造微生物学分野
- 醸造技術分野
- 醸造環境学分野
- 栄養科学科
- 食品栄養学専攻
- 食品機能学分野
- 生体機能学分野
- 保健栄養学分野
- 臨床栄養学分野
- 管理栄養士専攻
- 食品機能学分野
- 生体機能学分野
- 保健栄養学分野
- 臨床栄養学分野
- 食品栄養学専攻
- 森林総合科学科
- 森林環境保全分野
- 森林資源生産分野
- 森林資源利用分野
- 森林文化情報分野
- 生産環境工学科
- 生産環境分野
- 農業土木分野
- 造園科学科
- 環境計画・設計分野
- ランドスケープ資源・植物分野
- 景観建設・技術分野
- 国際農業開発学科
- 熱帯生物生産分野
- 熱帯農業環境分野
- 食料環境経済学科
- 農業農村経済分野
- 食料環境経済分野
- 農業農村食料政策分野
- 食料経済コース
- 都市・農村経済コース
- 国際農業貿易コース
- 環境経済コース
- 国際バイオビジネス学科
- 経営・マーケティングコース
- 経営情報コース
- 資源環境ビジネスコース
- オホーツクキャンパス開設と共に設置された。通称、東京農大生産学部。
- 生物生産学科
- 植物生産・バイオ分野
- 動物生産・バイオ分野
- ゲノム・生物資源・自然分野
- 食品科学科
- 食品生物化学分野
- 食品機能学分野
- 食品応用微生物学分野
- 食品資源利用学分野
- 食品理工学分野
- 産業経営学科
- 産業経営会計分野
- 生物産業ビジネス分野
- 地域環境経済分野
- アクアバイオ学科
- オホーツク水圏環境分野
- 水産資源分野
- アクアバイテク分野
教職課程 学術情報課程
[編集] 大学院
- 農学研究科
- 生物産業学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
- 生物産業学専攻
[編集] 短期大学部
- 短期大学部
- 生物生産技術学科
- 作物学分野
- 園芸学分野
- 遺伝育種学分野
- 畜産学分野
- 環境緑地学科
- 環境計画・緑地建設分野
- 環境植栽・緑地生態分野
- 醸造学科
- 酒類学分野
- 調味食品学分野
- 食品微生物学分野
- 栄養学科
- 栄養学分野
- 食品学分野
- 調理学分野
- 栄養管理学分野
- 生物生産技術学科
[編集] 成人学校
東京農業大学には各種学校の「東京農業大学成人学校[1]」という50歳以上を対象とした生涯学習組織がある。東京農業大学教授陣が授業を担当するが、学外からも学識経験者を招いている。公開講座や科目等履修生とは違った教育形態を採っている。
- 園芸造園本科
- 園芸造園専科
- 健康増進Aコース
- 健康増進Bコース
[編集] 附属機関
- 総合研究所
- 生物資源開発研究所
- ハイテクリサーチセンター
- ロボット農業リサーチセンター
- リサイクル研究センター
- バイオマスエネルギーセンター
- 食品加工技術センター
- 「食」と「農」の博物館
- アイソトープセンター
- 財団法人農芸振興会
- 財団法人進化生物学研究所
- 東京農業大学出版会
[編集] 学生生活
[編集] スポーツ
硬式野球部は東京と北海道に別個の組織として存在しており、東京の東京農業大学硬式野球部は東都大学野球連盟、北海道の東京農業大学生物産業学部硬式野球部は北海道学生野球連盟にそれぞれ所属している。また、ドラフト会議では東京の硬式野球部に所属する選手を「東京農大」(東農大)、生物産業学部の硬式野球部に所属する選手を「東京農大生産学部」(東農大生産学部)と表記して区別している。
体育会は渋谷・常磐松キャンパス時代から親交の深い國學院大學と対抗戦を実施する伝統があり、農國戦(國農戦)が行われている。
最近、世田谷キャンパス内に桜ヶ丘アリーナという体育館が新築された。
[編集] 大学関係者と組織
[編集] 大学関係者組織
- 農友会
- 東京農業大学全学職員・学生組織、1893年、第一期卒業生の同窓会として誕生。現在は全学生と教職員で組織され,総務部,文化団体連合会,体育団体連合会からなっており,現在合わせて55の部活動が活躍しているほか、11月の『収穫祭』には収穫祭文化学術展本部、模擬店本部も活動している。
- 畜友会
- 畜産学科の学生・教職員大学院生親睦組織会員相互の親睦を図り,併せて畜産学科の発展に寄与することを目的としている。講習会、研修会及び研究会発表の開催機関紙「ふじみの」の発刊が行われている。
- 農経会
- 食料環境経済学科教職員・学生親睦組織、1938年、前身である農業経済学科設立と共に、初代学科長我妻東策教授の発案で結成。学生相互の親睦を図ることを目標にしている。会誌「農経會誌」の発行、講演会、初代学長墓参会、新入生歓迎会が行われている。また、年2回、世田谷キャンパス周辺の地域住民と共に、ゴミ拾いをするなどの、社会奉仕活動も展開している。
- 拓友会
- 農業拓殖学科・国際農業開発学科同窓会組織、昭和41年11月農業拓殖学科創設10周年に当たり、結成。会員相互の連絡を密にし,親睦を図ると共に,会員の社会活動を円滑化することを目的としている。また,農業拓殖学科並びに国際農業開発学科在学生の学生生活に対して有益な支援も併せ行い,これにより大学や学科の発展に貢献している。
- 醸友会
- 醸造科学科学生・教員同窓会組織。醸造技術ならびに経営の研究および会員相互の親睦を図ることを目的として昭和28年に発足した。卒業後の大学との通信である「醸友会誌」の発行(平成17年よりホームページ化)、卒業生の名簿の 管理と発行、新入生歓迎会、学生行事への補助等を行っている。
- 林友会
- 森林総合科学科学生親睦組織
- 緑友会
- 造園科学科同窓会組織
- 農工会
- 生産環境工学科教職員・大学院学生組織、講演会、視察研修などが行われている。
[編集] 大学関係者一覧
[編集] 施設
[編集] キャンパス
- 世田谷キャンパス
- 応用生物科学部、地域環境科学部、国際食料情報学部、短期大学部
- 小田急小田原線千歳船橋駅・経堂駅下車、徒歩20分。
- 世田谷キャンパスの正門の門柱は旧大日本帝国陸軍機甲整備学校のものである。キャンパスにある東京農業大学および東京農業大学短期大学部の看板は彫刻家棟方志功が毛筆にて書いたものを彫りおこしたものだが、過去に一度、盗難にあったことがある。
- 厚木キャンパス
- 農学部
- 小田急小田原線本厚木駅下車、南口より東京農業大学行バスで15分。
- オホーツクキャンパス
- 生物産業学部
- JR北海道石北本線網走駅からバス利用。30分程度。
[編集] 農場
農業に関する専門的な教育および研究を行っているため、日本各地に農場や植物園を設置して実習や研究を実施している。
- 厚木農場
- 作物・園芸・環境緑化・農業機械の各分野からなる植物生産農場である。
- 植物園
- 自然生植物98種520余種・有用植物155科1,220余種が、保存・育成されている。
- 二宮柑橘園
- 厚木農場の施設果樹部。常緑果樹に関する試験研究・実習が行われている。
- 富士農場
- 肉乳牛約60頭・豚約150頭・鶏約2,500羽や教育用見本動物が、数多く飼育されている。新入生のオリエンテーション、学生のセミナー、学生父母の懇談会、地域教育機関の林間学校等にも利用されていたが、2004年頃に売却された。
- 網走寒冷地農場
- 北海道特有の寒冷地畑作大規模農業の実習教育を行っている。
- 宮古亜熱帯農場
- 高温多湿の亜熱帯海洋性気候に位置し、熱帯・亜熱帯農業の実習教育・試験研究を行っている。
- 奥多摩演習林
- ミズナラ、ミズナ、カエデ等からなる雑木林の天然性森林である。
- 群馬分収林
- 農林水産省林野庁前橋営林局と契約を結び、地質・土壌・動植物等の基礎的研究から、育林技術・伐出システム等の研究を行っている。
[編集] 対外関係
[編集] 他大学との協定
[編集] 姉妹校
[編集] 海外姉妹校
世界各地にある農業大学を中心に18の大学と姉妹校協定を結んでいる。
- ミシガン州立大学(アメリカ合衆国)
- カセサート大学(タイ王国)
- 中国農業大学(中華人民共和国)
- ブリティッシュコロンビア大学(カナダ)
- 国立中興大学(台湾)
- ボゴール農科大学(インドネシア)
- モンゴル国立農業大学(モンゴル)
- ラモリーナ国立農業大学(ペルー)
- フィリピン大学ロスバニオス校(フィリピン)
- 慶北大学(大韓民国)
- ヘブライ大学(イスラエル)
- ハノイ農業大学(ベトナム)
- サンパウロ大学(ブラジル)
- チャピンゴ自治大学(メキシコ)
- ウクライナ国立農業大学(ウクライナ)
- マレーシアプトラ大学(マレーシア)
- 農業グランゼコール・コンソーシアム(フランス)
- ワーヘニンゲン大学(オランダ)
[編集] 系列校
[編集] 社会との関わり
[編集] レッズランド
かつて東京農業大学は埼玉県さいたま市桜区に運動場を設置していた。同運動場は大学内での使用率があまり高くなかったことから、Jリーグが発足した際に浦和レッドダイヤモンズが練習会場として使用することになった。その後、利用率の低さから練習場を移転することとなった。その際、地主との契約で次の賃借人を東京農業大学は探さなければならない状況にあった。一方、同時期にJリーグの理念に基づく複合スポーツ施設の建設を計画していた浦和レッドダイヤモンズは、東京農業大学が運動場を撤退することを知り、以前から練習場として使用していた経緯もあって、同所における賃借権の譲渡を希望。2004年には契約が妥結、同運動場を所有していた地元の地主から浦和レッドダイヤモンズがその用地を借り上げて、レッズランドとして整備されるようになった。
[編集] 併設学校
[編集] 公式サイト
1919 | (府立)大阪医科大学
1920 | 東京商科大学 | 愛知医科大学 | 慶應義塾大学 | 早稲田大学 | 同志社大学 | 日本大学 | 中央大学 | 法政大学 | 明治大学 | 國學院大學
1921 | 東京慈恵会医科大学 | 京都府立医科大学
1922 | 新潟医科大学 | 岡山医科大学 | 旅順工科大学 | 龍谷大学 | 専修大学 | 立教大学 | 立命館大学 | 関西大学 | 東洋協会大学
1923 | 千葉医科大学 | 長崎医科大学 | 金沢医科大学 | 大谷大学
1924 | 立正大学
1925 | (県立)熊本医科大学 | 駒澤大学 | 東京農業大学
1926 | 日本医科大学 | 高野山大学 | 大正大学
1927 | なし
1928 | 東洋大学 | 上智大学 | 大阪商科大学
1929 | 神戸商業大学 | 東京工業大学 | 東京文理科大学 | 広島文理科大学 | 大阪工業大学 | (官立)熊本医科大学
1930 | なし
1931 | 名古屋医科大学
1932 | 関西学院大学
1933-38 | なし
1939 | 東亜同文書院大学
1940 | 神宮皇學館大学
1941 | なし
1942 | 興亜工業大学
1943 | 大阪理工科大学
1944-45 | なし
1946 | 東海大学 | 愛知大学 | (私立)大阪医科大学 | 久留米医科大学 | 順天堂大学 | 昭和医科大学 | 東京医科歯科大学 | 兵庫県立医科大学 | 霞ヶ浦農科大学
1947 | 大阪歯科大学 | 岩手医科大学 | 名古屋女子医科大学 | 岐阜県立医科大学 | 三重県立医科大学 | 奈良県立医科大学 | 横浜医科大学 | 県立鹿児島医科大学 | 広島県立医科大学
1948 | 弘前医科大学 | 前橋医科大学 | 松本医科大学 | 米子医科大学 | 徳島医科大学 | 和歌山県立医科大学 | 大阪市立医科大学
1949 | 福島県立医科大学 | 山口県立医科大学 | 大阪女子医科大学
1950 | 東京女子医科大学 | 東邦医科大学
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