高島鞆之助
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高島鞆之助(たかしまとものすけ、天保15年11月9日(1844年12月18日) - 大正5年(1916年)1月11日)は薩摩藩出身の陸軍軍人、政治家である。諱は昭光。官位は陸軍中将正二位勲一等子爵。陸軍大臣・拓殖務大臣・枢密顧問官等を歴任する。また、現在の学校法人追手門学院の前身である、大阪偕行社学院の設立者でもある。第19師団長を務めた陸軍中将勲一等子爵高島友武は養嗣子。
[編集] 略歴
- 幼少期:薩摩藩の藩校造士館に学ぶ。
- 戊辰戦争に従軍する。
- 1874年(明治7年):陸軍大佐に任ぜられる。
- 西南戦争:別働第1旅団司令長官。
- 1883年(明治16年):陸軍中将
- 1884年(明治17年):7月7日子爵に叙せられる。
- 1887年(明治20年):11月2日勲一等旭日大綬章受章。
- 1888年(明治21年):第4師団長
- 1891年(明治24年):第1次松方内閣の陸軍大臣となる。
- 1892年(明治25年):枢密顧問官となる。
- 1895年(明治28年):台湾副総督となる。
- 第2次伊藤内閣・第2次松方内閣:拓殖務大臣と陸相を歴任する。
- 1899年(明治32年):枢密顧問官となる(死去まで)。
- 1916年(大正5年):1月11日薨去、勲一等旭日桐花大綬章受章。
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