鵜島 (今治市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鵜島(うしま)は、瀬戸内海のほぼ中央、大島 (愛媛県)と伯方島との間の宮窪瀬戸にある小島。愛媛県今治市に属する。
南北約1.5キロ、東西約0.8キロ、面積0.76km²の小島で、周囲は集落のある地域を除いて崖となっている。島の中心は標高84mの小高い山となっている。付近は潮の流れも速い。
島名は、足利義満が一つがいの鵜を下賜し、海に放すと鵜が繁殖したことから付けられたものとされている。
中世には能島村上水軍の船隠し場や水のみ場が設けられ、代官所、奉行所、造船所まであったとされ、遺跡も残されている。島の南端には城郭跡もあり、鵜島の西にある能島とともに史跡にしていされている。
水軍が去ってのち、江戸時代初期に佐島(弓削島の属島)から農民が移り住んだ。その後、今治藩に属し、「宇島」「右島」とも書かれていた。織田信長の末孫といわれる織田信義が獅子狩の功をもって今治藩主・藤堂高吉よりこの島を拝領し、代々島の組頭を務めていた。島内には、第4代組頭の織田権四郎が1934年(明和9年)に建立したお堂がある。明治から大正にかけては造船所もあった。1960年(昭和35年)には国勢調査による人口206人との記録がある。みかん農家がある。
宮窪、伯方島との間のフェリーが鵜島にも寄航している。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 瀬戸内海の島 | 愛媛県の島 | 日本の地理関連のスタブ項目