瀬戸内海
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瀬戸内海(せとないかい Seto Inland Sea)とは、本州、四国、九州に挟まれた内海。山口県、広島県、岡山県、兵庫県、大阪府、和歌山県、香川県、愛媛県、徳島県、福岡県、大分県がそれぞれ海岸線をもつ。沿岸地域を含めて瀬戸内(せとうち)とも呼ばれる。
古来から、畿内と九州を結ぶ航路として栄えた。 気候は瀬戸内海式気候と呼ばれ、温暖で雨量が少ない。
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[編集] 概要
東西に450km、南北に15 - 55km、平均水深:37.3m、最大水深:105mの内海である瀬戸内海は複数の島嶼群で構成され、医師であり博物学者であったシーボルトを初めとして数多くの欧米人から高く評価された景勝地であり、19世紀後半の1860年、日本では明治維新直後に瀬戸内海を訪れたシルクロードの命名者でもあるドイツ人の地理学者フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェン(Ferdinand Freiherr von Richthofen,1833年 - 1905年)の旅行記により世界中に紹介され今もなお風光明媚な風景として絶賛される地域である。
1934年3月16日、日本初の国立公園として瀬戸内海国立公園が指定されている。
平成5年8月27日に環境庁告示第67号により、海水中の窒素や燐が海洋プランクトンに対して影響を与え、著しく増殖を生ずる畏れのある海域として閉鎖性海域として指定され、赤潮を初めとして2004年から2005年には発生原因が不明の藻により底引き網漁などの漁獲に打撃を与えている。
[編集] 区分
瀬戸内海は複数の海域で構成されている。
『領海及び接続水域に関する法律』では東側から順に次に掲げる10区分された海域で構成されている。
『瀬戸内海環境保全特別措置法』では前記10区分に次に示す海域を加えた計12区分で構成される。
上記の12区分された個々の海域を示す明確な基線(境界線)は存在しない。
[編集] 海域
瀬戸内海の海域は法令の目的ごとに扱い方が異なり複数の法令で範囲が定義されている。
- 領海及び接続水域に関する法律施行令(領海法施行令)第1条
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- 一 紀伊日ノ御埼灯台(北緯33度52分55秒, 東経135度3分40秒)から蒲生田岬灯台(北緯33度50分3秒, 東経134度44分58秒)まで引いた線
- 二 佐田岬灯台(北緯33度20分35秒, 東経132度54秒)から関埼灯台(北緯33度16分, 東経131度54分8秒)まで引いた線
- 三 竹ノ子島台場鼻(北緯33度57分2秒, 東経130度52分18秒)から若松洞海湾口防波堤灯台(北緯33度56分28秒, 東経130度51分2秒)まで引いた線
- 瀬戸内海環境保全特別措置法(瀬戸内法)第2条第1項
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- 一 和歌山県紀伊日の御岬灯台から徳島県伊島及び前島を経て蒲生田岬に至る直線
- 二 愛媛県佐田岬から大分県関崎灯台に至る直線
- 三 山口県火ノ山下灯台から福岡県門司崎灯台に至る直線
- 瀬戸内海環境保全特別措置法施行令 第1条
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- 一 (略)愛媛県高茂埼から大分県鶴御埼に至る直線及び陸岸によつて囲まれた海面
- 二 (略)山口県特牛灯台から同県角島通瀬埼に至る直線、同埼から福岡県妙見埼灯台に至る直線及び陸岸によつて囲まれた海面
- 海上交通安全法施行令 第1条
- 紀伊日ノ御埼灯台(北緯33度52分55秒, 東経135度3分40秒)から蒲生田岬灯台(北緯33度50分3秒, 東経134度44分58秒)まで引いた線及び佐田岬灯台(北緯33度20分35秒, 東経132度54秒)から関埼灯台(北緯33度16分, 東経131度54分8秒)まで引いた線
- 漁業法施行令 第27条
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- 一 和歌山県紀伊日ノ御埼灯台から徳島県伊島及び前島を経て蒲生田岬灯台に至る直線
- 二 愛媛県佐田岬灯台から大分県関埼灯台に至る直線
- 三 山口県火ノ山下潮流信号所から福岡県門司埼灯台に至る直線
[編集] 歴史
[編集] 地理的歴史
瀬戸内海は中国山地と四国山地に挟まれるように細長い窪地となっているが、その理由はよく判っていない。長期にわたる周期的な地質運動の一環として細長い窪地が形成されたのだろうと推測されている。
最終氷河期は海面が低かったため、瀬戸内海は陸地であり、ナウマンゾウをはじめ、多くの動植物が生息していた。氷河期が終わると海水が進入し、瀬戸内海が形成された。
[編集] 人文的歴史
古くより瀬戸内海は交通の大動脈として機能した。そのことは魏志倭人伝の記述や日本書紀の国産みの段でイザナミの産んだ島が瀬戸内航路沿いに並んでいることから推察できる。
古代においては、摂津国の住吉大社の管轄した古代港の住吉津を出発地とした遣隋使、遣唐使の航路であったことから、瀬戸内海は、海の神である住吉大神を祀る住吉大社の影響下に置かれ各地に住吉神を祀る住吉神社が建てられた。またこの頃既に鞆の浦は瀬戸内海の中央に位置するため汐待ちの港町として栄えていた。
奈良時代には陸上の交通路(山陽道や南海道)が整備されたが、外国使節が瀬戸内海を通った記録が残っており、瀬戸内航路も引き続いて利用されていたと見られる。
平安時代中期は、嵯峨源氏の渡辺綱を棟梁とする摂津国の渡辺党が瀬戸内海の水軍系氏族の棟梁となり、渡辺氏の庶流である肥前国の松浦氏が九州の水軍松浦党の惣領となる。
藤原純友が瀬戸内海の海賊の棟梁として反乱を起こし(承平天慶の乱)、瀬戸内海は、純友の活動舞台となる。伊予国の警固使の橘遠保が純友を捕らえる。
平安時代末期には平清盛が瀬戸内航路を整備し、音戸の瀬戸開削事業を行ったり、厳島神社の整備を進めたりした。
鎌倉時代から戦国時代にかけては、伊予国の越智氏や河野氏ら沿海部や島嶼の武士たちが瀬戸内航路に勢力を張り始め、河野氏や村上氏らは海賊大将軍を名乗って海賊衆(水軍)を組織し、瀬戸内航路を制御下においた。
豊臣秀吉による海賊禁制を経て江戸時代には水軍勢力が排除され、回船商人らによる西廻り航路の一部として、瀬戸内海は流通の主役の務めを果たした。
明治時代以降は鉄道開通などの本州・四国内交通網の整備、本州・四国間に瀬戸大橋の開通に至って、以前より交通路としての重要性は薄れたが、平成に入っても無数の定期航路が存続している。また、環瀬戸内文化圏という観点から、瀬戸内海を文化交流の場としてとらえ直す試みも行われている。
[編集] 島
瀬戸内海には大小あわせて 3,000 もの島があり、無人島や、周囲数メートルしかない小さな島も存在する。
大きな面積を持つ島
[編集] 沿岸主要都市
[編集] 交通
[編集] 橋
本州と四国を道路・鉄道で結ぶ橋または道路として瀬戸内海上に本州四国連絡橋が架かり、以下の3ルートがある。
[編集] 航路
- 宇高航路
- 各島間航路
- 阪高(神高)航路
[編集] 「縦断」と「横断」
瀬戸内海北岸を自動車等で走行することを通常「縦断」すると言う。
日本列島は南北に長いので、例えば北海道・鹿児島間を陸路移動するような場合「縦断」とするのは至極当然のことである。だが中国地方は東西に長く伸びている。それでも日本列島全体としては南北に伸びているため、たとえ中国地方が東西方向に伸びていても、これは南北に伸びているとみなし、「縦断」とするのである。
その一方で、海路を航行する場合は「横断」とするのが通例である。
[編集] 工業
太平洋ベルト工業地域の一角を担う瀬戸内工業地域を形成し、全工業地域総出荷額のおよそ9%を占める。
また海の中の離島であることを生かし、亜硫酸ガスによる煙害で批判を浴びていた銅精錬業が瀬戸内海に進出した。三菱マテリアルの直島、住友金属鉱山の四阪島など。
[編集] 漁業
瀬戸内海には沿岸河川を行き来するアユ、天然記念物の甲殻類のカブトガニ、小型鯨類のスナメリ、人間を襲うホホジロザメを初めとする400 - 500種類を越す魚類が生息している。
[編集] 赤潮
昭和45年から昭和51年にかけて赤潮の発生件数は約80件から約300件と上昇し、その後徐々にではあるが減少傾向にあるものの平成14年の発生件数は約100件が確認されており、同年の発生海域は大阪湾・紀伊水道・播磨灘の淡路島の対岸域・燧灘の愛媛県域・広島湾・防予諸島・周防灘等である。赤潮の発生に伴ない養殖のハマチ・タイ・真牡蠣の他、天然魚介類の漁業被害が起きている。
[編集] 環境保全
瀬戸内海の自然環境は非常に価値があり、また損なわれて易い状況である。瀬戸内海は閉鎖性水域であることから自然の自浄作用による自然回復能力は乏しい。特に、底質にはかつての有害物質が蓄積し底質汚染として新たな汚染原因となっている。
[編集] 外部リンク
- せとうちネット(環境庁による環境・経済・学術情報提供システム)
- 社団法人瀬戸内海環境保全協会(環境保全の普及と指導助成、情報の収集と発信、調査研究を行ない前記せとうちネットの管理運営を担当している)
- EIC(国立環境研究所の情報交流サイト)
- 瀬戸内海環境保全審議会、議事要旨及び議事録
- tourism-set.jp(瀬戸内海のお得な観光情報)
- 瀬戸内海環境保全特別措置法(瀬戸内法)(総務省法令データ提供システム)
- シークエンスと瀬戸内海(愛媛県)
- 水産庁瀬戸内海漁業調整事務所(兵庫県神戸市)
- 化学物質と環境(年次報告書)