鶴原定吉
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鶴原 定吉(つるはら さだきち、男性、安政3年(1856年) - 大正3年(1914年))は、日本の政治家。
東京大学出身。天津領事、日本銀行大阪支店長、関西鉄道社長を歴任。
その後、第二代目大阪市長。1901年8月31日就任、1905年7月20日離任。
[編集] 大阪市長
助役に菅沼達吉を指名。
第五回内国勧業博覧会を開催、報奨契約制の制定、行政改革などで活躍する。
大阪港の建設促進にも力を入れ、さらに市街から港へのアクセスとして市電を開通させる。
「市街鉄道のような市民生活に必要な交通機関は、利害を標準に査定されるものではなく、私人や営利会社に運営を委ねるべきではない」などと市会で主張したことは有名(市営モンロー主義も参照のこと)。
[編集] 参考文献
- 『大阪市の歴史』(大阪市史編纂所 1999年4月 創元社 ISBN 4422201387)
[編集] 関連項目
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