BI砲
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BI砲(びーあいほう)とは、日本のプロレスラーであるジャイアント馬場とアントニオ猪木のタッグチームの呼称。チーム名は、馬場の「Baba」と猪木の「Inoki」の頭文字、そして当時のプロ野球界で王貞治と長嶋茂雄のコンビをON砲と呼ばれてたことから「砲」を取り、BI砲と名付けられた。元々BI砲とは、タッグ戦において両者が同時にドロップキックを繰り出す技を指し、タッグ名はBIタッグとも呼ばれていたが、後にタッグ名もBI砲と呼ばれるようになった。両者が日本プロレスに所属していた1967年頃から、団体の看板として大きく取り上げられるようになる。
1967年10月31日に第9代のインターナショナルタッグ王座を獲得。その後防衛や王座陥落、再獲得を繰り返していく。BI砲では第9代、10代、12代、14代(防衛回数は順に0、11、4、14回)の合計4回王座に輝いている。
1971年12月7日、札幌におけるインターナショナルタッグ防衛戦において、ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク組(ザ・ファンクス)に敗れて王座陥落したのを最後にコンビは消滅。以後2人とも独自の団体を旗揚げして袂を分けたために見ることができなくなった。
1979年8月26日、日本武道館にて行われた「プロレス夢のオールスター戦」にて、一夜限りの復活を果たす(対戦相手はアブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シン組)。