CRAZY-MAX
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CRAZY-MAX(クレイジーマックス)は日本のルチャ・リブレ系プロレス団体である闘龍門、進化したDRAGON GATEに1996年から2004年まで存在したヒールユニット。通称C-MAX、クレイジーMAX。
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[編集] メンバー
- CIMA - ユニットのリーダー。愛すべき童顔。多彩なオリジナル技とアドリブの効いた話術で同団体のトップを張ってきた。現在は新ユニットBlood Generation(通称BG)のリーダー。
- SUWA - ユニットの武闘派。強面で一時はユニットを抜けた頑固者。現在はプロレスリング・ノアに長期参戦中。
- ドン・フジイ - ユニットの清涼剤的存在。コミカルから新人いじめ、窃盗、ドッグファイトまでこなす。元力士。現在BGの一員。
以上が「オリジナル・クレイジー」と呼ばれた3人である。
- TARU - ユニットの兄貴分。メタルな雰囲気を持つ。武輝道場からクレイジー入りした。セコンドの際にはスーツを着用する。現在全日の悪役集団「VOODOO-MURDERS」を束ねる。
[編集] 過去にクレイジー入り
- 小川内潤(リングネーム:JUN、ケガで引退)
- MAKOTO(現・K-ness.)
- ストーカー市川
- 河野圭一(当時・チョコボールKOBE)
- TARUシート(初代)
- 鷹木信悟(現在、海外を長期遠征中)
- スーパー・ボーイ
- カレー・マン
- ノーマン・スマイリー
[編集] ミニ・クレイジーMAX
闘龍門Xで彼らのミニ版であるミニ・クレイジーMAXが編成された。しかしDRAGON GATEの独立により、現在はメンバーの大半がみちのくプロレスに合流、ギミックを変更している。
[編集] 歴史
1996年のメキシコ上陸後、意見が合わなくなっていた同じ1期生のマグナムTOKYOを除いたシーマ・ノブナガ(CIMA),ジュードー・スワ(SUWA),スモー・フジ(ドン・フジイ)の3人で結成した。当初のユニット名は、それぞれの性格を象徴したイメージで、「○×△(まるぺけさんかく)トライアングル」に決定していたが、SUWAが「気違い野郎どもの集まり」というニュアンスで「C-MAX」を提案し、結局それに落ち着いた。後に空手家・多留嘉一(TARU)が合流し4人体制になった。(このとき一時「C-MAX with T」を名乗る。元ネタは歌手の「H jungle with T」より。なおフジイは知らなかった)その後メンバーを度々加入させるも根付かず、結局この4人のまま、最後まで活動した。 あの独特のロゴマークは「"悪の華"」を意味していた。
1998年、ザ・グレート・サスケにカレー粉で買収され?、SASUKE組の一員として日本に他のメンバーより一足早く再上陸。
ふく面ワールドリーグ戦に参加したスーパー・ボーイ、カレー・マンと意気投合。 その後みちのくプロレスのマット上では「スーパー・C-MAX(スーパー・カレー・マックス)」というユニット名で上記2名を加えた5人で暴れまわっていた。
メキシコやWCW、みちのくプロレス時代は確かにルード集団であったが、1999年の闘龍門JAPAN逆上陸、2001年T2P上陸を境に次々ライバルユニットが乱立し悪役チームとしてではなく、何者でもない、団体を代表する超人気ユニットになった。一時ルードの色がなくなることに反発したSUWAが2001年秋~2002年春まで脱退したことがあった。
その後も「時代の最先端を走るユニット」「自分たちは善悪、白と黒で行く」と強盗と間違えそうなマシンガン・戦闘服に身を包みイタコネ、はぐれ軍団、悪冠と抗争を繰り広げた。
その後SUWAの脱退が引き金となりクレイジーの看板をたたむことになるが、現在天龍・マグナムが行っている「開国」が早ければもう少し違った抗争が見られたかもしれない。いずれの理由にせよ、不完全燃焼の終わり方になった。
[編集] 主要タイトル
UWA3人タッグ王座(CIMA,SUWA,フジイ)、UDG選手権王座