闘龍門
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闘龍門(とうりゅうもん)は、1997年にウルティモ・ドラゴンがメキシコ・ナウパルカンに開校したマット界初の日本人ルチャドール養成学校。なお、ルチャドールとは、メキシカンスタイルのプロレスラーの事である。正式名称は「ULTIMO DRAGON GYM 闘龍門」。
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[編集] 概要・歴史
半年に一度生徒を募集し、一定期間のトレーニングの後、メキシコのプロテストに合格したものから、メキシコ自主興行でプロデビューさせている。ドラゴン校長自身の経験から、受験資格として身長制限は一切設けていない。デビューした生徒たちは、当初はアメリカWCWのダークマッチ(前座試合)などに出場させていたが、1998年に1期生のCRAZY-MAX(C-MAXと表記されることが殆ど)(現:CIMA、SUWA、ドン・フジイ)をみちのくプロレスで日本デビューさせ、本格逆上陸の足がかりとした。
1999年春より、日本国内で『逆上陸』自主興行を開催。WAR時代から親交のあった、武輝道場(ぶこうどうじょう)の岡村隆志、望月成晃、TARUらと合流し、興行会社『闘龍門JAPAN(とうりゅうもんじゃぱん)』を神戸に設立、卒業生の受け皿とした。初期はマグナムTOKYO率いる正規軍とC-MAXと望月成晃率いるM2Kの三軍対抗戦がメインだった。
2000年には、『闘龍門2000プロジェクト(T2P)』を始動させ、メキシコ式の複合関節技『ジャベ』をメインとした、ミル・マスカラス登場以前の古典メキシカン・プロレス『ルチャ・リブレ・クラシカ』の復興をコンセプトに5期生~8期生を養成した。T2Pの逆上陸興行では、特徴的な6角形のリングを採用し、従来のプロレスとの差別化をアピールした。スタイルの違いから闘龍門JAPANとの抗争となり、最終的には敗北して『T2P』は解散、主力選手は『JAPAN』に合流し、未熟な選手は後述の『X』に吸収された。
2002年からは、『闘龍門X(とうりゅうもんえっくす)』をスタートさせ、世界に通用する新たなスター選手の養成に乗り出した。所属選手の石森太二は、2003年1月に東京ドームで開催されたWRESTLE-1 Ⅱに出場して国内デビューを果たし、その身体能力の高さが関係者に絶賛された。その後石森はウルティモ・ドラゴン校長に帯同して新日本プロレスに出場。他にミニC-MAX(ミニCIMA(現:義経)、SUWAシート(現:景虎)、スモールダンディフジ(現:ラッセ))、ロス・サルセロス・ハポネセス(日本人サルサ軍団)(現:南野武、Ken45゜、ベアー福田)と村上学(現:大間まぐ狼)、ムルシエラゴ(現:フラッシュムーン)らがみちのくプロレスに参戦。2004年9月9日の自主興行を持って、『闘龍門X』は解散したが、所属していたレスラーの多くはみちのくプロレスに合流した。ただし、メキシコの道場は今もあり、『闘龍門MEXICO』として活動していて、コーチにMAZADAがいる。そして、2006年3月13日には、アドバイザーにTAJIRIが就任した。4月16日後楽園ホール大会「ULTIMO DRAGON WORLD WIDE UD:06」では、ウルティモ・ドラゴンが日本で約1年半ぶりに復活を果たし、闘龍門MEXICOの選手達は日本初上陸を果たした。
[編集] タイトルホルダー
闘龍門が開催するリーグ戦と覇者(2007年04月現在)
- ヤングドラゴン杯・・・岡田かずちか(2005年)
闘龍門が関わる他団体管轄の王座と保持者(2007年04月現在)
- NWA世界ウェルター級王座・・・大原はじめ
闘龍門JAPAN時代に管轄していた王座
- UDG(ULTIMO DRAGON GYM)選手権・・・CIMA(第4代)がベルト返還
[編集] 主な闘龍門出身者
第1期生
第1.5期生(区分上は存在しないが便宜上こう呼ばれることがある)
- ドラゴン・キッド
- SAITO(DRAGON GATEインストラクター)
第2期生
第3期生
- 横須賀享
- 清水基嗣[T2P]
第4期生
第5期生
第6期生
- ミラノコレクションA.T.[T2P]
- 大柳錦也(退団)[T2P]
- フィリップ・J・福政(引退)[T2P]
- TARUシート(初代)(引退)[T2P]
第7期生
- 大鷲透[T2P]
- 吉野正人[T2P]
- "brother"YASSHI[T2P]
- ベーカリー八木(DRAGON GATE本部長兼レフェリー)[T2P]
第8期生
- 近藤修司[T2P]
- JUN(プロレスリングElDoradoリング・アナウンサー)[T2P]
- 高木省吾[T2P→X]
- 菅原拓也[T2P→X]
- ムルシエラゴ(現:フラッシュムーン)[X]
第9期生
- 石森太二[X]
- 佐藤秀(バラモンシュウ)[T2P→X]
- 佐藤恵(バラモンケイ)[T2P→X]
- 大間まぐ狼(卍丸)[X]
- 野橋真実[X→MEXICO]
- 南野武[X→MEXICO]
- Ken45゜[X]
- SUWAシート(現:景虎)[X]
- ラッセ[X]
- ダイナマイト東北[X]
- ポコ高梨 ※闘龍門ではデビューできず、DDTプロレスリングでデビュー
第10期生
第11期生
- ミニCIMA(現:義経)[X]
- サイト・マスダ[X]
- 新井注一郎[X]
- パッション長谷川[X→MEXICO]
第12期生
- 青木洋介[X]
- 片上学(GALLARDO)(引退)[X]
- KONDO&Co.[X]
- TARUシート(2代目)(引退)[X]
第13期生
- 堀口ひろみ[X→MEXICO]
- ミラニート・コレクションa.t.[X]
- 松山勘十郎[X→MEXICO]
- バナナ千賀[X→MEXICO]
- 大原はじめ[X→MEXICO]
- 岡田かずちか[X→MEXICO]
第?期生
- しゃちほこマシーン[T2P]
- アミーゴ鈴木[MEXICO]
- ギジェルモ"チャンゴ"秋葉[MEXICO]
- 花岡大輔[MEXICO]
特待生
- 田島久丸[X→MEXICO](オーディションからの選出)
武輝道場から合流
- 岡村隆志(DRAGON GATE代表取締役社長)
- 望月成晃
- TARU
- 河野圭一(チョコボールKOBE、チョコフレークK-ICHI)(引退)
- 川畑憲昭[T2P](カラオケマシーン2号、BATAやん、鯱魔神1号)(プロレスリングElDorado代表)
その他
- スペル・シーサー(SAITOの弟子だが同一人物説あり)
- K-ness.(ダークネスドラゴン)(レッスル夢ファクトリーより移籍)
[編集] 闘龍門JAPAN
1999年に興行部門として「闘龍門JAPAN」が武輝道場を吸収合併する形でスタート。代表は岡村隆志。1999年1月31日後楽園ホールで旗揚げ戦を行った。順調に日本にも根付き、2004年には総勢30名前後まで選手数が増加し、インディー・メジャーを通しても最も勢いのある団体の一つとなったが、創立5周年記念大会を最後に『DRAGON GATE』と改称し、闘龍門から分離した。
[編集] dragondoor
川畑憲昭を代表としてDRAGON GATEを解雇された悪冠一色のメンバーが合流、2005年からlivedoorをスポンサーに「dragondoor」として興行を開始していたが、livedoorの不祥事が影響して2006年2月23日『プロレスリングElDorado~NEXT door PROJECT~』に名称変更することを発表、浅井(ウルティモ・ドラゴン)校長のもとから離れることとなった。