アレッサンドロ・デル・ピエロ
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アレッサンドロ・デル・ピエロ(Alessandro Del Piero、1974年11月9日 - )は、イタリア・トレビゾ(コネリアーノ)出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
カルチョの国イタリアの歴史にその名を刻むファンタジスタのひとり。
現在は一連のカルチョ・スキャンダルでセリエBに降格したユベントスでプレーしている。
目次 |
[編集] プレースタイル
決して恵まれた体格とは言えないが、テクニックに優れプレーに豊富なバリエーションを持つFW。左サイドからゴール前にドリブルで切れ込むプレーを得意としていて、特に彼が無数の美しいゴールを決めた、ゴール前左45度は「デル・ピエロ・ゾーン」と呼ばれている。この聖域から右足のインフロントで放たれたボールが、ゆるやかな弧を描いてゴール右隅に吸い込まれる様子は多くの観客を魅了してやまない。 また短中距離のフリーキックも得意としているほか、トラップ技術も一級品で、次のプレーに最適な場所にワンタッチでボールをコントロールできる。
[編集] 略歴・人物
1991年にセリエB(当時)のパドバでキャリアをスタート。1993年からセリエAのユヴェントス(2006-2007シーズン現在セリエB)に所属し、ミシェル・プラティニやロベルト・バッジョといった名選手たちが背負ったユベントスの背番号「10」を若くして引き継いだ。
靭帯断裂などの負傷とスランプに度々悩まされるがその度にこれを克服し、センセーショナルな復活劇を見せて観客を魅了する、華のある選手である。ユヴェントスでは1995-96シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ制覇のほか、2004年までに5度のスクデット獲得を経験している。(2004-2005、2005-2006は没収されている。)
2006年1月10日に行われたコッパ・イタリアの対フィオレンティーナ戦でハットトリックをマーク。これがユヴェントスでの185得点目となり、ジャンピエロ・ボニペルティの持つクラブ歴代最多得点記録を塗り替えた。
イタリア代表デビューは1995年3月25日のエストニア戦。FIFAワールドカップには1998年、2002年、2006年と3大会連続で出場している。不調に苦しむ間にフランチェスコ・トッティの台頭もあり、2000年代からは背番号「10」をトッティに譲っているものの、今も「アズーリ」に欠かせない選手のひとりである。
2006年のドイツ大会ではフォワードのバックアッパーとしてメンバーに名を連ねる。準決勝のドイツ戦では延長戦から途中出場し、アルベルト・ジラルディーノからのパスを受け、十八番「デル・ピエロ・ゾーン」から2点目となるダメ押しゴールを奪った。
[編集] 語録
「ユベントスに籍を置くには、高望みをしてはいけない。希望額より少なかろうが、それで満足しなければならない。」
[編集] 備考
- 兄ステファノも元サッカー選手。
- 子供の頃に新日本プロレスのイタリア遠征を観戦して以来のプロレスファン。好きな日本のプロレスラーはアントニオ猪木と藤波辰爾で、2005年6月にユベントスの遠征で来日した際にテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」に出演し、憧れの藤波と対面して感激していた。この時に藤波からプレゼントされたタイガーマスクを被ったデル・ピエロの写真がユヴェントスの公式サイトに掲載されている。
- トッティに背番号『10』を譲ってほしいと言われた際も「僕は『7』の方が合っている」と言って快く譲るなど性格、人間性なども優れた人格者でイタリア国内での人気も高い。なお何故7番かといえば「初めてもらった背番号がこれだったから」、とのこと。
- 遠征先などでは、仲間の選手と一緒にテレビゲームをする。好きなゲームはマリオシリーズ。
- ユベントスが八百長事件によりセリエBに降格する可能性が取り沙汰される中、マンチェスター・ユナイテッドなどの誘いを断って真っ先に契約を更新。チームに残る決意をした事で、改めてファンの心を掴んだ。
- アメリカ合衆国にも憧れがあるといい「選手生活を終えたら、まず英語の勉強に取り組むつもりだ」と語る。
- サッカー界のご意見番でカルチョには特に痛烈な批判をするヨハン・クライフもデル・ピエロに対しては「私はどんなイタリアのプレイヤーよりもデル・ピエロを好む。彼のプレーはとてもファンタスティックだ。ただ強いて言うなら彼はイタリアに生まれるべきではなかった。イタリアサッカーは彼がそのプレースタイルのままでいようとすることを許さないだろう。」と賛辞を送ると共に彼のプレースタイルをもっと生かせる国に生まれていたら、という意味深なコメントをしている。
[編集] 所属チーム
- パトバ 1991-1993
- ユヴェントス 1993-
[編集] 外部リンク
イタリア代表 - 2006 FIFAワールドカップ優勝メンバー(4度目) | ||
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1 ブッフォン | 2 ザッカルド | 3 グロッソ | 4 デ・ロッシ | 5 カンナヴァーロ | 6 バルツァッリ | 7 デル・ピエロ | 8 ガットゥーゾ | 9 トーニ | 10 トッティ | 11 ジラルディーノ | 12 ペルッツィ | 13 ネスタ | 14 アメリア | 15 イアキンタ | 16 カモラネージ | 17 バローネ | 18 インザーギ | 19 ザンブロッタ | 20 ペッロッタ | 21 ピルロ | 22 オッド | 23 マテラッツィ | 監督: リッピ |
イタリア代表 - 2002 FIFAワールドカップ | ||
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1 ブッフォン | 2 パヌッチ | 3 マルディーニ | 4 ココ | 5 カンナヴァーロ | 6 ザネッティ | 7 デル・ピエロ | 8 ガットゥーゾ | 9 インザーギ | 10 トッティ | 11 ドニ | 12 アビアーティ | 13 ネスタ | 14 ディ・ビアッジョ | 15 ユリアーノ | 16 ディ・リービオ | 17 トンマージ | 18 デルベッキオ | 19 ザンブロッタ | 20 モンテッラ | 21 ヴィエリ | 22 トルド | 23 マテラッツィ | 監督: トラパットーニ |
ユヴェントス - 2006-2007 |
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1 ブッフォン | 2 ビリンデッリ | 3 キエッリーニ | 4 コヴァチ | 5 トゥドール | 6 ザネッティ | 8 ジャンニケッダ | 9 ボジノフ | 10 デル・ピエロ | 11 ネドベド | 12 ミランテ | 13 ピッコロ | 14 バルザレッティ | 15 マルキシオ | 16 カモラネージ | 17 トレゼゲ | 18 ブームソン | 19 パーロ | 20 パッラディーノ | 22 ベラルディ | 25 サラジェタ | 27 ゼビナ | 29 デ・チェリエ | 30 レグロッターリエ | 32 マルキオンニ | 監督 デシャン | |
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